ラインハルトの隣に座って、彼の質問にヤンが自説を交えながら答えている時、テキストを目で追っていたヤンが目線を上げると大抵ラインハルトの蒼氷色の瞳はヤンの方を見ていた。 『真面目に聞かないのなら答えないよ?』 ヤンが少し拗ねたような表情でそう言うと、ラインハルトは決まって同じ答えを返す。 『テキストを見ているよりヤン先生の声だけを聞いている方が頭に入るんです』と。 ふざけていると言ってもいいような返答だったが、実際に一度教えたことを二度聞かれたことはないので、ラインハルトの真剣な表情も勘案してヤンもそれ以上は注意しない。 ただ、ラインハルトの綺麗な瞳を意識するとヤンの方が緊張してしまうので、なるべく顔を上げないようにしようとしてしまうのだが。 キルヒアイスが一緒に来る時はあまり感じないのに、二人でいる時は何故か彼の視線を意識してしまう。 ラインハルトと二人きりで狭い部屋にいるのは苦痛ではなかったが、普段のヤンにはない緊張感によって疲れを感じることもあった。 けれど、何故かこのような状況が過去にもあったような気がして、ヤンは時折下げていた目線を隣に持っていってしまう。 そうすると、再びラインハルトの鋭い輝きの瞳に囚われてしまうのだった。
夢のあとさき−4−
by.朔夏
「何か用かな?ミューゼル君?」 アッテンボローがヤンの準備室を後にし研究棟を出ると、さっそくラインハルトが待ち構えていた。 不機嫌さを露わにしてアッテンボローを睨み付けてくる金髪の少年をアッテンボローは鼻で笑った。 「用事がないなら通してくれないか?こちらは明日からまた仕事なんだ」 「…貴方はヤン先生とどういう関係なんですか?」 ラインハルトは脇をすり抜けようとしたアッテンボローの二の腕を掴んで止めた。 目線はほとんど変わらない。 無言の睨み合いが数秒続いた。 「…無粋なことを聞かないでくれないか?さっき見たんだろう?」 先に口を開いたのはアッテンボローだった。 余裕とも取れる笑みをラインハルトに見せる。 「…っ!」 アッテンボローの言葉にラインハルトは白皙の頬を赤く染めた。 険のある眼差しがアッテンボローを射抜く。 自分の考えが外れていなかったことにアッテンボローは危機感を募らせた。 今ここでラインハルトにとどめを刺しておかなければ、きっと自分は後悔することになるだろう。 「俺は彼の後輩だが、君が想像しているとおりの関係でもある。俺たちはもう8年も付き合っているんだ」 嘘は言っていない。誤解するのはラインハルトの勝手だ。 「だが、彼は君に見られたことをとても気にしていた。もし君が今日のことを彼に問い質すようなことをしたら、君は二度と彼に近付くことができないようになると思うけど?」 ラインハルトの表情を窺い見ると、先程まで赤くなっていた頬は血の気を失ったように蒼ざめていた。 取られていた二の腕を引くと、するりとラインハルトの手は離れ、力なく落ちた。 「…本当にヤン先生と…?」 絞り出すような声は微かに震えていた。 「…ああ、疑うのならキャゼルヌ事務長に確認するといい。まあ、あまり露骨な聞き方では事務長も答えにくいだろうけどね」 「事務長とも…お知り合いなんですか?」 「事務長はヤン先輩、いやウェンリーの先輩に当たる人で、俺も懇意にさせてもらっている。君のことも知っていて、俺はキャゼルヌ事務長から君のことを聞いたんだ」 「そう、ですか…」 かなりトーンダウンしたラインハルトに、アッテンボローは胸を撫で下ろした。 「…ウェンリーは君のことを優秀な生徒として気に入って目を掛けている。その期待を裏切るようなことをしたら俺も事務長も君を許さないから。それだけは覚えておいてくれ」 こんなところで自分の名前が連呼されているとはキャゼルヌも思っていないだろうが、使えるカードは使わせてもらわないと、とアッテンボローは言い訳した。 「それじゃあ、俺はウェンリーに逢いに来ただけだから、もう帰らせてもらうよ」 普段は口に出来ない呼び名を最後にもう一度使ってラインハルトを牽制し、アッテンボローは士官学校の敷地を後にした。
準備室の備品であるヴィジフォンの呼び出し音に、ヤンはデスクでのうたた寝から目醒めた。 読みかけの歴史書が汚れていないことを確認して、受信ボタンを押す。 「キャゼルヌ先輩…っと、キャゼルヌ事務長?」 「なんだ、また寝ていたのか?」 「寝てませんよ!」 画面に映ったキャゼルヌに開口一番そう言われてヤンはついつい嘘をついてしまった。 「嘘をつくな!ほっぺたに本の文字が印刷されてるぞ!」 「ええっ!?」 焦って壁の鏡を振り返るとキャゼルヌの笑い声が聞こえてきた。 どうやらカマを掛けられたようで、鏡の中のヤンにはそのような形跡はなかった。 「もう、先輩は性格が悪いですよ。昼寝の邪魔をするためにわざわざ通信してきたんですか?」 「お前と違って俺はそこまで暇じゃあない。シトレ元帥からお達しだ。すぐに統合作戦本部へ出勤しろとさ」 「ええっ!今日は出勤日じゃないですよ!まだ最終時限の授業があるはずですけど?」 「だから俺の所へ連絡してきたんだろうが。もう授業は他の教科に変更して組み直してある。あきらめてさっさと行ってこい」 イヤそうに眉根を寄せるヤンだったが、キャゼルヌは聞いてくれそうにない。 「ああ…もう!分かりましたよ。すぐに行きます!」 「軍服に着替えるのを忘れるなよ?」 「…言われなくても忘れませんよ!」 八つ当たりと分かっていながら、ヤンはキャゼルヌとの通信を一方的に切った。 また、イヤな時間が始まるのだ。 「はああ〜っ…」 情けない顔をして、ヤンは教科とは関係なくいつもカッターシャツの上に羽織っている白衣を脱ぎ捨てた。 ちなみに一度出先から呼び出されて私服で統合作戦本部に行った時は、何度説明しても軍人だと信じてもらえず、到着の遅れを気にして出てきた作戦本部付きの事務官に証言してもらう羽目になったのだ。 「こんな服は着たくないんだけどなあ〜…」 ブツブツと文句を言いながらもヤンは用意されている一式を身に着ける。 どこか崩れたような様にならない着こなしだったが、やはり軍服を着てさえいれば一人前の軍人として見てもらえるのである。 「別に好き好んで行く訳じゃないのに…」 最後にベレー帽を寝癖の残る頭に載せて、鏡に向かい自分の姿を眺める。 はあ、と溜め息を吐くと、ヤンは準備室のドアに鍵も掛けずに出て行った。 「どうせ貴重品なんて本ぐらいしかないし、本なんて骨董品にもならないからね」 そう言っていつも鍵を掛けないのでキャゼルヌからは小言を言われていたが、あまり意に介していないようである。 ヤンの足取りは重く、授業の時のような生き生きとした表情は影を潜めていた。 「同盟軍統合作戦本部へ…」 大通りに出て無人タクシーを拾うと、ヤンは行き先を告げて座席にもたれ掛かるようにして目を閉じた。 昼寝の続きをしようというわけではないが、今から始まる不本意な時間のことを考えたくなかったのである。 目を閉じると、ふと脳裏に蒼氷色の瞳の少年が浮かんだ。 彼はきっと素晴らしい軍人になるだろう。 だが、今の同盟軍で彼の実力が正当に評価されるとは思えない。 自分に何かが出来るとは思わないが、せめて彼のことを正当に評価し、理解することの出来る人間が軍部にいてほしい。 そうヤンは考えていた。
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