銀河帝国と自由惑星同盟との抗争は激しさを増しており、年々、軍の損害も戦死者の数も増えていた。ヤンは士官学校の講師として勤務する傍ら、自らが生徒の時に校長を勤めていたシトレ元帥に請われて、同盟軍の作戦立案にも携わっていた。
 士官学校の講師であっても当然給料は軍から支払われているため、ヤンには拒否する権利はないのである。最初は実際に戦場に出たこともない一講師の立てた作戦など相手にもされないと思い、シトレ元帥の案として提出するよう頼んだが、シトレ元帥は首を縦に振らず、ヤン自身の立案として提出してしまった。
 当初の反応はやはりヤンの予想したとおりのものであったが、司令官に苦し紛れに採用されたその作戦が効を奏して、同盟軍に久々の快勝をもたらした。
 その結果、ヤンは統合作戦本部に非常勤という形で籍を置かざるを得なくなってしまった。ヤンの希望である『授業以外は歴史研究三昧』の生活から、だんだんと遠ざかっていくことをヤン自身は嘆いたが、実際のところ同盟軍にはヤン以上に『負けない作戦』を立案できる作戦参謀はいないのだった。
 



 
夢のあとさき−3−

        by.朔夏




「先輩!」
 聞き慣れた、しかしここ数ヶ月は聞かなかった声を聞いて、ヤンは下を向いて歩いていた顔を上げた。
 午後の陽射しが眩しくて一瞬目を細めたが、走ってくる声の主がヤンの元に辿り着くまでにはなんとか目が慣れた。
「アッテンボロー、帰ってきてたのかい?」
 同盟軍の軍服を颯爽と着こなした年若い士官は、ヤンの士官学校時代の後輩のダスティ・アッテンボローだった。2歳年下のアッテンボローは士官学校時代からヤンを慕ってくれている。卒業して軍務に就き、任地や前線からハイネセンに還ってくると、大抵ヤンのところへ顔を出しに来てくれる。
「今日の朝、ハイネセンに到着したんですよ」
「それは…疲れてるだろうに、休まなくていいのかい?」
「今回は戦闘じゃなかったし、帰りの艦の中で結構休めたんですよ。それにどうせ官舎に帰っても、埃だらけの部屋で独りぼっちで酒を飲むぐらいしかすることがないんですから、先輩の顔を見に来た方がまだ面白みがあるってものです」
 悪びれずに言うアッテンボローにヤンは苦笑した。そういう物言いも彼の得意とするところで、ヤンは最近なかった旧知の友人との会話を心地よく感じた。
 立ち話もなんだから、とヤンはアッテンボローを準備室に招き入れて、応接セットのソファに案内する。
 アッテンボローと自分の分の紅茶を煎れて、ヤンはアッテンボローの向かい側のソファに腰掛けた。 
「そう言えば…先輩、キャゼルヌ事務長に聞きましたけど、最近、毛色の変わったネコに懐かれてるそうですね?」
「ネコ?」
 一瞬、なんのことか分からず、目を丸くしてアッテンボローを見つめたヤンだったが、アッテンボローの探るような目を見て、思い当たる。
「…もしかして、ネコって2年生のラインハルト・フォン・ミューゼル君のことかな?」
「それです!開校以来の天才とか言われてるらしいじゃないですか」
「うん…そうなんだ。彼はすごいよ。頭でっかちの秀才タイプとは違うみたいで、運動神経もいいみたいだしね。しかも見た目も随分と美形なんだよ」
 柔らかく微笑みながらラインハルトの事を褒めるヤンを、アッテンボローは眩しそうに目を細めて見つめる。ヤンにそんな顔をさせる人間が自分以外にいることをアッテンボローは悔しく思った。
「彼は、なんで先輩に懐いてるんです?」
 多くの同僚達に聞かれたのと同じ質問を後輩から受けて、ヤンは苦笑した。
「私にも分からないよ。まあ、彼は勉強熱心だから、いろいろと学びたいことがあるんだろう。よく戦略研究のことを質問してくるしね」
「先輩の専門は戦史研究じゃないですか!戦略研究科にはちゃんとした教授や助教授もいるのに、なんで専門外の講師の先輩に質問するんです?」
 アッテンボローの機嫌が少し悪いことにヤンは気が付いた。
 自分は何か、彼の気分を害するようなことを言っただろうか?
「…ミューゼル君は銀河帝国からの亡命者だから、教授連中にはあまり厚遇されていないんだ。いくら成績が良くても、やはり軍内での亡命者の扱いはそんなにいいものじゃないからね」
「それは彼自身が言ってるんですか?」
「うーん、まあはっきりとは言わないけど、それに近いことはたまに言うかな…」
 確かにヤンの言うとおり、亡命者は帝国に寝返る可能性もあるとして、軍ではなかなか重要なポストには就くことが出来ず、冷遇される可能性が高い。それは士官学校においても同じで、級友からの嫌がらせや暴力などの対象になりやすいのはアッテンボローも知っていた。
 だがヤンに懐いている少年は、そんなことなど意に介さず、逆にやり返すことも可能なタイプだとキャゼルヌは言っていた。
 ということは、ヤンに対してだけ正にネコを被っているとしか思えない。ヤンは他人の噂話に興味がなく、自分の噂ですら耳に入っていないタイプである。
 そんなヤンのフォローは、士官学校時代から彼の親友のラップとアッテンボローの役割だった。しかし、現在は二人とも軍務に就いていて、ヤンの傍にいつもいることは不可能なのだ。
 もう少し、ヤン自身で気を付けて欲しいのだが、周囲の自分を見る目に鈍感なヤンは悪気なく周囲を振り回す。
 士官学校時代、戦史研究科のヤンに戦略戦術シミュレーションで負けた主席のワイドボーンが、最初のうちはヤンに反目していたのに、そのうち追っかけのようになっていたことにも気付いていないだろう。
「先輩のそういう鈍感なところが好きなんですけど…」
 ぼそっと呟くように言ったがヤンにはしっかり聞こえていたらしい。
「鈍感って…ひどいなアッテンボロー、私は何か君に悪いことでも言ったのかい?」
 困惑した表情で自分を見つめてくるヤンに、アッテンボローは少し意地悪をしたくなった。
「先輩、ちょっと目を閉じてみてください」
 え、と驚きながらも素直に目を閉じるヤンにアッテンボローは溜め息を吐く。
 鈍感な上に単純だ。
 その思考や思想は必要以上に複雑なくせに、こういうことには免疫もないし、研究もしてないのだろう。
「…アッテンボロー?もう目を開けてもいいかい?」
 目を閉じたまま無防備に問いかけてくるヤン。
「もう少し待ってください」
 アッテンボローは応接机の上の2客のティーカップを脇に寄せて、机に両手をついた姿勢でヤンの顔に自分のそれを寄せていく。
 見慣れたヤンの顔ではあったが、最近はこんなに近い位置で見たことはなかった。
 学生時代より年齢を重ねているはずなのに、変わらず肌理細かく陶器のような肌は、ヤンの東洋系の血によるものなのだろう。
 普段はいつも眠たそうな顔で服装もだらしなく、ろくに髪もとかしていないようなヤンだったが、そのせいでヤンが実は整った綺麗な顔立ちをしていることが周囲に認知されにくいことをアッテンボローは知っていて、わざとそういう悪い癖を放置していた。
「アッテンボロー?」
 ヤンの赤みがかった唇が自分の名前を形作るのをアッテンボローは見た。
 ちょっとした意地悪のつもりが、抑えがたい衝動に駆られる。
「先、輩…」
 アッテンボローは後僅かしかないヤンとの距離を縮めるために、更に身体を前へと乗り出した。
 あと数cmでアッテンボローの唇がヤンのそれに到達しようかという瞬間。
「ヤン先生、ミューゼルです」
 ノックもせずに入ってきた侵入者は、目を見開いて動きを止めた。
 ラインハルトの声に驚いて目を開けたヤンは、同時に顔も動かしてしまい、驚くほど至近距離にいたアッテンボローに接触してしまったのだった。
 それも正にアッテンボローが望む形で。
 しかもラインハルトは二人を真横から見るような位置にいたため、目に入ったゴミを取っていたなんていう古典的な言い訳は通じそうにない。
「し、失礼しました!」
 急ぎ、身を翻して出て行くラインハルトの後ろ姿を呆然と見送って、ヤンはアッテンボローに視線を戻した。
「なんてことをしてくれたんだ、アッテンボロー…」
 恨みがましい目で自分を見るヤンが明らかに怒っていることにアッテンボローは気付いたが、ラッキーな事故に感謝し、これであのネコ被りへの牽制ができたと信じていた。
「怒らないでくださいよ、先輩の髪の毛に白髪があったような気がしたんで抜いてあげようとしただけなのに、先輩が動くからです」
 飄々と嘘を付くアッテンボローにヤンはころりと騙される。
「白髪!?本当か!?なんてことだ、これも統合作戦本部なんかで働かされるからに違いない!まだ20代なのに!アッテンボロー!本当なのか!?」
 焦ってあたふたと髪の毛を触っているヤンだったが、アッテンボローが『気のせいだったみたいです』と告げると落ち着きを取り戻した。
「ああ、ミューゼル君になんて説明しよう…」
「今説明したとおり、白髪のことを言えばいいじゃないですか」
 思い出したように困惑するヤンに、アッテンボローはあっさりと告げる。
「…うん、まあ、そうだね」
 事故だしね、とあっさり言って笑うヤンに、内心アッテンボローはがっくりと肩を落とした。
 アッテンボローの思惑などに鈍感なヤンが気付くわけもなく、アッテンボローはにこやかに別れの挨拶をしてヤンの研究室を辞した。
 きっとあの金髪の少年は、自分が出てくるのを待ち伏せているだろう。
 そう予想して、アッテンボローは顔を引き締めた。


   

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