Princess in Wonderland 1
朔夏
今は昔、他人の山へ入り、ソロバンと帳面を手に材木を切り出す商談をしては差益を得ているキャゼルヌという商人の男がおりました。
この男、元は貧乏貴族の五男坊。
見た目はそれなりに貴族らしく穏やかで人が良さそうな男ではありますが、幼い頃から贅沢には縁遠く、世間の世知辛さは身に染みついておりました。
故に元服した後も出世を望めそうにない宮廷には出仕せず、学問を嗜みながら屋敷の出入りの商人に経営指南なんぞをしておりました。
これが実に的確な指南で、キャゼルヌの評判は商人達の間で鰻登り。ついには商才を買われて宮廷御用達の材木問屋の跡取りにと望まれ、一人娘オルタンスの入り婿となったのです。
一方のオルタンスも幼い頃から父親や店子の姿を見て育ったせいか、蝶よ花よと飾り立てたい両親の思惑とは裏腹に、実にサッパリキッパリとした粋な娘に育っていたのでした。
しかしこの夫婦、見合いの時から意気投合し、婚儀の後も仲睦まじく暮らしておりますが、なかなか子宝に恵まれません。
そのような折、キャゼルヌは大和の国へ材木の買い付けに行くことになりました。買い付ける材木は杉でしたが、地主との相性が良かったのか商談はトントン拍子に進み、宿の夕餉の時間まで暇を持て余すことになりました。
「よし、せっかく大和の国まで来たんだ。他にも金のなる木ならぬ、金になる木がないか散策してみるとするか」
取引相手に愛想良く暇を告げたキャゼルヌは、日頃から鍛えているわらじ履きの健脚で一里ほど歩き、青々とした立派な竹林を目にして立ち止まりました。
「これは素晴らしい竹林だ。持ち主の手がかりはないものだろうか」
辺りを見回しても人の姿はなく、見えるのは山と池と空き地ばかり。
人に尋ねるのを諦めたキャゼルヌは竹林の中へ入ってみることにしました。分け入ってみると、案外と明るく、燦々と降り注ぐ陽光のせいかほんのり暖かく感じられます。
不思議に思いながらも歩みを進めるキャゼルヌでしたが、その足がぴたりと止まりました。
「なんだ、あれは……?」
キャゼルヌは我が目を疑うように目を瞠り、その場に立ち竦みました。キャゼルヌの前方には見たこともないような眩しい光りを放つ、それは大きなタケノコが鎮座していたのです。
恐る恐る近付いてみれば、その丈はキャゼルヌの頭ほどの高さまであり、周囲は人間が二人で手をつないでようやく届くほどでした。そのように大きなタケノコが太陽のように強い光りを発しているのです。
キャゼルヌは目を細めながらそっとタケノコに近付き、手を触れてみました。
「これは……いい金になりそうだ」
キャゼルヌがどんな時でも考えるのは、目の前の物体が商売になるかどうかです。
キャゼルヌはタケノコを手に入れたいと思いましたが、断じて盗人などはいたしません。ということは持ち主を見つけなければタケノコを手に入れることもできないのです。
「ううむ、困ったな。手がかりになるようなものは何も見あたらないな……」
キャゼルヌが腕を組んで目を閉じて悩んでいたところ、突然と生木を裂くような音が鳴り響きました。
驚いて飛び退いたキャゼルヌは尻餅をついて転びました。
そこへメリメリと真っ二つに避けたタケノコから剥がれた皮がはらりと舞い落ちてきました。
「な、なんと!」
キャゼルヌは驚いてタケノコの皮を手に取りました。
舞い落ちてくるまでは確かにタケノコの皮であったものが、地面に落ちた途端に絹の装束へと姿を変えたのです。
はらりはらりと舞い落ちるタケノコの皮のすべてが次から次へと美しい女人の装束に変化します。
やがてすべての皮が剥がれ落ち、気付けば眩しい光りは消え失せていました。
そして無惨に引き裂かれた生成り色のタケノコの中から現れたのは、白い単衣だけを身に纏い、黒々とした髪の美しい、十二歳かそこらの少女と思われる生命体でした。
というのも、タケノコの皮が女人の衣裳に変化した以上、コレは女人であろうというキャゼルヌの判断です。
「……そこのお前。お前は人か、それとも妖か」
タケノコの狭間でぼんやりと立ち尽くしたままの謎の生命体に、最初は気後れしたキャゼルでしたが、何事も先手必勝と話しかけてみました。
しかし、タケノコの精(面倒なのでキャゼルヌの中ではそう決定)は首を傾げてキャゼルヌを見るだけで、口を開こうとはしません。
「ええい、面倒だ!お前!」
返事のないのに業を煮やしたキャゼルヌは、もはや怖いものなどないとばかりにズカズカとタケノコの精に近付き、その眼前にビシッと指を突き出しました。
タケノコの精は突然の行為に驚いているのか、目を丸くしてキャゼルヌを見返すばかりです。
「お前は誰かの持ち物か?」
質問の意味が通じているのかは分かりませんが、タケノコの精は左右に首を振りました。
「では、何処かへ行くアテがあるのか?」
タケノコの精は再び首を振りました。
「ようし!では、お前の身柄はこのアレックス・キャゼルヌが責任を持って引き受けた!分かったらこの着物を着て付いてこい!」
タケノコの精は勢いに押されるまま色とりどりの装束を次々と身に着けていきました。しかし着方を知らないのか、まったくもって不格好です。
「オルタンスに躾直してもらう必要があるな」
溜め息を吐きながらも口元に笑みを浮かべ、キャゼルヌはタケノコの精の手を引いて山を降りました。
こうしてタケノコから生まれた黒髪の生命体はキャゼルヌとオルタンスの娘として育てられることになったのでした。
それから三年の月日が経ち、タケノコの精はヤンと名付けられて大切に育てられました。ヤンは黒髪と黒い瞳がいつも濡れたように艶めいて美しく、色白の面もこれといった特徴はないものの整っており、珊瑚のような唇が愛らしいと界隈では評判になるほどでした。
「というわけで、お前さんに五人の求婚者が現れたぞ」
今朝方、早くから宮廷へ出掛けていったキャゼルヌが帰るなりヤンの元へと駆けつけてそう言いました。
先年、都では新たな帝が即位し、これで宮殿の新築や大改築のお声がかかると喜んだのも束の間、今上帝の質素倹約ぶりは著しく、宮廷御用達の材木問屋の主であるキャゼルヌですら商売上がったりの状態です。
そこで、このままでは日本の経済状態にも悪影響であり、なんとか公共工事を増やして庶民の仕事を増やしてはもらえまいかと陳情するため、キャゼルヌの実家の係累を通じて木工権頭に目通りすることとなったのでした。(※木工権頭=むくのごんのかみ、木工寮の長官)
「木工権頭は我々に同情的でな、話が弾んでいたところに、なんと右大臣が現れたんだ。右大臣と言えば都に名を轟かせる評判の女たらしだ。私はお前の話をするつもりなどなかったのに木工権頭が口を滑らせてしまったんだよ」
さて右大臣といえば両の瞳の色が異なるということと、女人好きで次から次へと相手が変わることで有名です。しかし、どれほど噂が流れても右大臣という地位に加え、光源氏もかくやといわれる魅力的な若者であるため、宮中の女房達からの人気は絶大です。(※女房=朝廷や貴顕の人々に仕える女性使用人)
「そこで是非、お前を右大臣家に女房として出仕させよと言われたのだ」
「……お父上様、それは無理難題と言うものでございましょう」
黙って聞いていたヤンがついに扇の影に隠れた口元を開いて抗議した。じっとりと目を細めて見つめられて、キャゼルヌはヤンから目を逸らし、乾いた笑いを漏らしました。
「そうだな……無理難題に違いないな……」
「そうですよ。私のような商人の子が右大臣家のお屋敷に上がるなど以てのほか。ましてや私にはロイエンタール殿の女房など勤まるはずもありません」
そうなのです。それはタケノコの精であったヤンだから勤まらないと言うわけではなく、そこにはキャゼルヌの犯してしまった多大なるミスが存在していたのです。
「だって、私は正真正銘の男なんですから!」
そう。三年前のあの日、確かめもせずにヤンを女だと判断したキャゼルヌは自宅に戻り、オルタンスにこう言いました。
「今日からこの子を私たちの娘として育てよう!」
言われたオルタンスの方も最初は戸惑いましたが、すぐにヤンを受け入れました。ヤンと名付けたのもオルタンスです。
キャゼルヌはシャルロットだのと名付けたかったようですがオルタンスは譲りませんでした。
しかし、その理由が判明したのは一年後。
それまでヤンの身の回りの世話はすべてオルタンスが取り仕切っており、キャゼルヌに介入の余地はありませんでした。もちろんキャゼルヌもロリコンではありませんので、娘の裸を見る気など毛頭ありませんでした。
ところがオルタンスの父であり、材木問屋の主であった義父が病に倒れ、今日をも知れぬ状態となったのです。都の有名な祈祷師にまじないをしてもらうためにオルタンスは父を連れて家を離れました。
キャゼルヌはヤン一人でも身の回りのことが出来るであろうと高を括っていましたが、不器用も度が過ぎ、お茶ひとつ淹れるにも危なっかしくて見ていられません。
ついにはキャゼルヌが着替えを用意して入らせた風呂で滑って転倒してしまったのです。その音を聞きつけ、ヤンの名を呼びながら恐る恐る風呂に入ったキャゼルヌが見たものは、洗い場に見事にひっくり返り、下半身が丸見えになっている可愛い一人娘の姿でした。
その時、キャゼルヌは知りました。
ヤンが娘ではなく息子であったことを。
つづく
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