Princess in Wonderland 2


朔夏 


 祈祷師の元から戻ったオルタンスに尋ねてみれば、オルタンスは最初から知っていたとのこと。
 何故、言ってくれなかったのかと問い詰めるキャゼルヌにオルタンスは答えました。
「だって、あなた、この子を『娘として』育てようっておっしゃったじゃないですか」
 キャゼルヌの脳裏をブリザードが吹き荒れました。
 ですが、これまで娘としてご近所から問屋仲間にまで紹介し、一年を過ごしていたものを、今さら『息子でした』とは言えません。
「ヤン!お前は男だが、女として世間を欺いてくれ!これは、とーさんの一生のお願いだ!」
 そんな風に頭を下げられては、拾って面倒を見て貰った恩義もあって無下にはできません。
 ヤンは仕方なく、好きなだけ本を読んでもよいことと、南蛮渡来の紅茶を切らさずにいてくれることを条件にキャゼルヌの要望を受け入れたのでした。
「だからといって女房なんてとんでもない。しかもあの右大臣ですよ?気付いたら単衣を脱がされていそうです」
「まあ……それはそうだな。だが、この話には続きがあってな」
「お相手の殿方が五人に増えたわけですか」
「そう!右大臣と私が問答しているところに今上帝に縁のある皇子が二人通りかかってなあ、余程退屈しているのだろうよ、話に加わってきて……」
「その方達も私を見たいとおっしゃったわけですね」
 扇の向こうで深い溜め息が漏らされると、キャゼルヌはびくりと肩を揺らしました。娘には弱い父であります。(息子ですが)
「そ、そうなんだ。いや、彼らは右大臣ほど遊び人ではないよ。アッテンボロー皇子もミンツ皇子も二人ともお前より年下で、きっと女人に興味が出てきた年頃なのだろうよ……」
「ふ〜ん、ま、私は男ですけどね」
「……う、そ、そうだがな」
「で、もうお二方は?」
 ヤンの黒い瞳には魔力があるようでキャゼルヌは言い知れぬプレッシャーをずしりと肩に感じておりましたが、答えなければそれどころではありません。
「それが……中納言のシェーンコップ殿と大納言のトリューニヒト殿まで……」
「宮中って本っ当にお暇なのでしょうねえ」
「と、とにかく、御簾越しにでも話をさせてほしいと言われて、私も断り切れなかったんだ。お前には済まないが、どうかそれぞれ一度ずつだけでも会ってくれないか」
 キャゼルヌの懇願にヤンはもう一度大きな溜め息を吐くと、目線を上げて頷きました。
「いいでしょう、お父上様。ただし、私の方でも条件を付けさせていただきます」
「条件?」
「ええ、それぐらいの妥協はしていただかないと割に合いませんから」
「分かった、ならば私が彼らにそれを伝えよう」
 このことを知ったオルタンスは眉を顰めましたが、ヤンがそれでよいのならと渋々了承したのでした。


「さあて、栄えある一番手に私を任じられたのは姫のご意向ですかな?そうであれば光栄至極でございますが」
 御簾越しにも感じるねっとりとした気配にヤンは表情を歪めました。
 大納言のトリューニヒトは口八丁手八丁で今の地位に上り詰めたと聞き及んでいます。それもまた実力のうちではありますが、他人を陥れ、蹴落としてまで上位の官職に就こうとするトリューニヒトはヤンの好むところではありません。
「姫は随分とおとなしやかでいらっしゃいますな。こういってはなんですが、女人も十八となれば既におぼこではありませんでしょう?」
「……」
 失礼な物言いにヤンは無言の侮蔑をもって答えます。しかし、それで通じる相手ならば苦労などないでしょう。
「さあ、姫。早速ですが、例の条件を試していただけますかな?」
 ヤンは五人の殿方に会うにあたり、それぞれに条件を示しました。その条件を整えられた殿方にだけ目通りするというものです。
「よいでしょう、では『龍の首の玉』をお見せくださいませ」
「ええ、お見せいたしますとも。しかし、お見せするには私をその御簾の中へ招いていただかなければ難しゅうございます」
 好色そうな薄い唇の端を吊り上げてトリューニヒトが笑う。
 それに眉を顰めながらもヤンは紐を引いて御簾を上げ、自らは扇で顔を隠してトリューニヒトを招き入れました。
「これはこれは恥ずかしがり屋の姫ですな。しかし扇を捧げ持つ白い手が美しいことだ。そのたおやかな手で今すぐにでも私のナニを……いやいや」
「それよりも早く『龍の首の玉』をお見せください」
ヤンがせかしてもトリューニヒトの笑みは崩れません。
「そうせかさずとも今すぐにお出しいたしますよ」
 そう言ったトリューニヒトは何故か装束の紐を解き始めます。
「な、何をなさっておいでなのですか?」
 焦ったヤンが扇を取り落とすと、トリューニヒトは一息にヤンに飛びかかりました。
「まだそのようなおぼこの真似事を。そなたの言う『竜の首の玉』とは、それここにあるモノであろう」
 ヤンの両手首を掴んだトリューニヒトは袴を脱ぎおとして、剥き出しの股間をヤンにぐいぐいと押し付けてきます。そこには赤黒くそそり立ったモノがてらてらと光り、ヤンの白い面を汚そうと近付いてきます。
「なっ、何をなさいますか!」
「何をとは珍妙な。そなたは『竜の首の玉』を見せよと言ったではないか。『竜の首』と言えば男のコレに決まっておる!『玉』も此処に付いておるではないか!」
 ヤンの両手首を片手で掴み直したトリューニヒトが空いた手でヤンの細い顎を鷲掴み、そのまま可愛らしい珊瑚色の唇に『龍の首』を突っ込もうとしました。
「待て待て待て〜!!!」
 突然、板張りの廊下を走る大きな足音が響き渡り、人払いがしてあるヤンの部屋へと何者かが押し入ってきました。
「やい、大納言!てめえ、何をしてやがる!」
 飛び込んできたのは十代後半と思われる雀斑が印象的な年若い青年でした。
「こ、これはアッテンボロー皇子……いくら皇子と言えども礼儀に叶わぬ行為は許されませんよ」
「けっ、よく言うよ!じゃあ、今アンタがしてることは礼儀に叶ってるって言うのかい?なあ、そこのお姫さま?」
 トリューニヒトは舌打ちをするとヤンから両手を離しました。
 ヤンは安心したせいか、体に力が入りません。
「アンタがおとなしく引っ込むんなら今日だけは帝に免じて見逃してやるぜ?」
 アッテンボローが若い獣のような瞳で睨み付けて脅しをかけると、トリューニヒトは不機嫌そうな表情のまま、装束を整えて部屋を出て行きました。
 残ったアッテンボローはぐったりとしているヤンを抱き起こし、脇息に凭れさせてやりました。
「大丈夫かい?お姫さん」
「ええ、大丈夫です……あなた様はアッテンボロー皇子?」
「そう、俺がアッテンボロー」
 とても皇子には見えない物言いと行動にヤンは疑いの眼差しを向けました。
「……では、あなたが本当にアッテンボロー皇子ならば条件の品を持ってこられたのですか?」
 さきほどのトリューニヒトのように自分に都合の良い解釈をされて、無体な真似をされては困るが、アッテンボローに示した条件はそのような解釈はされそうにないので、ヤンは敢えて尋ねた。
「いや〜、それがさ、サッパリ分からなくて!」
 あっけらかんと笑いながらアッテンボローは瞳と同じ色の髪の毛を右手で撫でて答えます。
「だって『仏の御石の鉢』とか言われても何だかサッパリ分からないし。どうせ、断る口実なんだろうな〜って思ったから、いっぺん会って友達から始めてもらおうかなって思ってさ!」
「友達……?」
「そうだよ。そりゃ、こうして会ってみたらやっぱり俺の理想にジャストミートだったから、恋人になってくれたら嬉しいけどさ、最初はまず友達からでいいよ。条件はクリアしてないけど、もっと頑張るからさ!……ダメかな?」
 いつの間にか脇息に凭れてヤンの顔を下から覗き込むように見上げ、首を傾げているアッテンボローの仕草が近所の飼い犬に似ていて、ヤンは堪えきれずにくすりと笑いました。
 するとアッテンボローの瞳がまん丸になり、次第に頬が赤く染まってゆきます。「か、可愛い!……ごめん!やっぱ、ちょっとだけ!」
「え……っ」
 ちょっとだけ、と言ったアッテンボローは手を伸ばしてヤンの両肩を痛くない程度に掴みました。
 そのまま、触れそうで触れない距離まで顔を寄せてじっと見つめてきます。
「ほっそい肩……」
「そ、そう……?」
 何をされるのかと警戒しながらもヤンは目の前の青年を好ましいと感じていました。確かに友達というのは悪くない提案だと思いました。
「ねえ、さっき、あの変態大納言から助けてあげたじゃない?」
「う、うん、ありがとう……」
「お礼、もらってもいい?」
「お礼……?」
 ヤンが返事をする前にアッテンボローはヤンの肩を引き寄せて珊瑚色の唇へと口付けました。二度ほど軽く触れて、今度は瞳を丸くしたままのヤンの目蓋へと口付けます。
 ヤンが驚いて瞳を閉じると再び唇を合わせ、舌先を唇の隙間に潜り込ませてきました。だんだんと口付けが深くなっていきます。
「あ……、はっ……」
 うまく呼吸ができなくて、ヤンはアッテンボローの直衣に指を掛けて止めようとしますが、アッテンボローの力には叶いません。アッテンボローの舌がヤンの口内を這い回り、痺れるような感覚を与えてきます。
「あ……っ」
 そのうちにアッテンボローの手が肩から滑り落ち、重ねた単衣の胸の方へと降りていきます。
「だ、ダメっ……」
ヤンは驚いてアッテンボローを押し返しました。するとすぐに手は離れていきました。
「ゴメン、つい、夢中になっちゃって……」
 アッテンボローの謝罪にヤンは無言で頷きました。
 アッテンボローはヤンを女性だと思っているのです。男だとばれたらどうなるのか想像もつきません。ヤンは震えながら自らの身体を抱き締めました。
「ゴメンね、もう、いいって言うまでしないから……」
 アッテンボローはヤンの髪をやさしく撫でて、席を立ちました。
「また来てもいい……?」
 御簾の出口で振り返ってアッテンボローが尋ねました。
 ヤンは、少し考えて左右に首を振りました。
「毎日でも文を書くよ。だからいつかまた会ってね」
 少し哀しそうに、それでも明るい表情でアッテンボローは去っていきました。
 次の日、ミンツ皇子は『蓬莱の玉の枝』の代わりにと珍しい香とお茶を届けてくれました。面会を望まれましたがヤンは断りました。
 どんなに友達として付き合いたいと思っても、彼らにとってヤンは女性でしかないのです。嘘がばれた時のことを考えると会う気にはなれません。
 彼らがヤンにとって好ましい人物であるほど、辛くなります。
 ヤンは夜空に輝く月を見上げては溜め息を吐き、池に映る月を見ては涙を流しました。
 数日後、今度は中納言のシェーンコップが屋敷を訪れました。
 ヤンは会いたくないと使用人に伝言を頼みましたが、シェーンコップは会うまで店先に居座るというのです。
 検非違使上がりの強面の中納言が店先に居座ってはキャゼルヌの商売に差し障りがあります。
 仕方なくヤンは面会を了承しました。
「そこまでして会いたいとおっしゃるからには『燕の産んだ子安貝』を持っていらしたのでしょうか?」
 御簾越しに尋ねるとシェーンコップは一度目を伏せて唇だけで笑うと、顔を上げてヤンをじっと見つめます。
 獰猛な獣のような視線にすべてを見透かされそうで、ヤンは震えました。
「ここ最近、あなたは月を見て泣いているそうですね」
 シェーンコップの質問にヤンは唇を噛みました。
 そのようなことがシェーンコップの耳に入ると言うことは、屋敷内にそれを漏らしたものがいるということです。
 屋敷の者たちはヤンが男であることを知らないはずですが、秘密は漏れるものです。
「……それがどうかいたしましたか?」
「いえ、もしもあなたが月の住人で、もうすぐ月に帰らねばならぬとしても、私は決してあなたを月には返したりはいたしませんよ」
 シェーンコップの言葉にヤンは小さく笑った。
「御心配なさらずとも私は月になど帰りません。いいえ、いっそ、そうであるならばこんなにも苦しむことはないでしょうに……」
「この屋敷にいることが苦しいとおっしゃいますか?」
「いいえ、父も母も他の皆さんもとてもよくしてくださいます。ただ、私のみがそぐわぬ者なのです」
「何にそぐわぬと?」
「何とは申せません。ですが、どうぞお引き取りください。私はあなた様に相応しい者ではございません」
 ヤンが首を振り、扇を閉じる音が響きました。
 シェーンコップはその場から動きません。
 ヤンはひとつ溜め息を吐くと静かに立ち上がり、奥の出口から部屋を出ようとしました。
 そのヤンの耳に背後の御簾が捲り上げられる音が聞こえました。
「な……っ、う、ん……!」
 背後から大きな体が覆い被さり、節くれた指に上を向かされたと思うとそのままシェーンコップの唇が重なって、すぐに唇を割り入ってきた舌の感触にヤンは驚いて目を閉じました。
 息をつく間もなくシェーンコップの舌が口内を蹂躙し、飲み込みきれない唾液が口角を伝い、喉元まで流れ落ちます。
 ようやく解放された時にはヤンの頬は紅潮し、ゆっくりと開かれた黒い瞳は潤んで揺れていました。
「何を……なさいますか、乱暴はおよしください」
「しかし、こうしなければあなたは逃げていくでしょう?」
 予想に反してシェーンコップの灰褐色の瞳は凪の海のように静かでした。
 トリューニヒトのように倒錯した興奮もなければ、アッテンボローのように熱に浮かされた様子もありません。
「あなたは……何故このようなことをなさるのですか……?」
 ヤンはシェーンコップの腕に抱き込まれたまま静かに問いかけました。
 自らの鍛えた腕にかけられたヤンの細く白い指が震えていることにシェーンコップは気付きました。
「……あなたをひとりにしないためですよ」
「……私、を……?」
「あなたが女性であろうと男性であろうと、そして例え我々とは違う場所で生まれたものであろうと……私の望みはあなたと共にあることですよ」
 シェーンコップの言葉にヤンは大きく身体を震わせた。
「……あなたは何を知っているのですか?」
 ヤンの問い掛けにシェーンコップは言葉ではなく口付けで答えました。

                            つづく

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