All Right All Night

−2−

by.朔夏



 ヤンは限りなく困惑していた。
 実のところ頬を抓って痛いと感じたのも夢の中でそう思い込んでいるだけなのではないだろうかと疑っていた。というよりはそうであって欲しいという願望が今の状況が現実だと認めることを拒否していた。
「それで、貴様はここで何をしているのだ?」
 夢だと思いたいのに目の前で腕を組んで自分を見下ろしている人物が容赦なく質問を浴びせてくる。本当に熟練した人形師でも造形することが不可能なのではと思えるような欠点のない美しさだと思った。唯一あるとすればその万人を魅了する美を凌駕するほどに、その双眸が宿した蒼い炎が恐れを感じさせる点だろうか。
「どうした?答えられないのか?」
「………」
 何をどう答えればよいのかまったく思い浮かばない。
 ヤンの頭脳はこれまでの人生の中で今最もその動きを鈍化させていた。父が死んだ時ですらもう少しはマシだったと溜め息を吐きたくなる。
 ヤンは何も言う言葉が出てこない唇を何度か開いたり閉じたりしながら目の前のラインハルトを見上げた。
「……貴様、口がきけないのか?」
 ラインハルトの蒼氷色の瞳が探るように細められる。
 一瞬はそれを肯定しようかと考えたヤンだったが、後でばれた時にかえって立場が悪くなると思い直し、否定しようとした。
「……っ……」
 ところがヤンの喉は、その声を作り出すことが出来なかった。
「……?」
 ヤンは手の平で喉を抑えるようにして何度か発声を試みた。
 しかし何度行っても結果は同じで、ヤンの唇からラインハルトの求める答えが出てくることはなかった。
 ヤンの愕然とした表情をどう理解したのか、ラインハルトが発する威圧感が消滅した。それどころか戸惑った表情で見上げるヤンに苦笑ではあったが笑顔すら見せたのだ。
「お前……よく見ればそれは寝間着ではないか、一体どこから来たのだ?」
 そう言われてヤンは自分の姿に視線を落とした。ほんの少し前まで自分のベッドにいたのだから寝間着なのは当然だった。だが、どこから来たのかと言われても声が出なければ説明もできないし、説明しても信じてもらえるわけがない。
 それ以前に自分の名前や立場を包み隠さず話すことなど出来るわけもなかった。
 ヤンは仕方なくもう一度ラインハルトを見上げ、ゆっくりと左右に首を振って見せた。
「……分からないのか?この近くに医療施設などはあったろうか?」
 ヤンの仕草を分からないという答えだと理解してラインハルトは宵闇の中で墓地の周囲に視線を巡らせた。だが、そのようなことは聞いたこともないし、そもそもこれまでの帝国の体勢では貴族でもない限り障害を持った人間が医療施設で療養することなど出来なかっただろうと心中で判断する。
「まあよい。とにかくここで夜を明かすわけにも行かぬ。俺と一緒に来るがいい」
 ヤンは目を丸くしてラインハルトを見つめた。
 貴族連合を制圧して実質的に銀河帝国を手中にした人物がそんなに不用心でいいのだろうか?と人ごとながら心配になった。
「心配せずとも憲兵に突き出したりはせぬから早く立て。まさか足も不自由なわけではないだろうな?」
 ヤンが座り込んだまま動こうとしない様子を見てラインハルトがやや表情を苛立たせた。ここでラインハルトを怒らせて損をするのは自分だけなのでヤンは焦って立ち上がると、満足げに頷いたラインハルトの視線がヤンの足元で凝固した。
「……お前、裸足ではないか」
「………」
 それはそうだ。ヤンは素面の時に靴を履いてベッドに入る趣味はない。
 ヤンも自分の足を見て押し黙っていた。
 するとラインハルトが優雅な仕草で右手の平を額に当て、溜め息を吐いた。
「本当にどうやってお前はこの場所に来たんだ。この墓地の外周は自然に囲まれているから毒を持った蛇などもいるのだぞ」
「……!?」
 それを聞いたヤンは心底嫌そうな情けない表情をラインハルトに向けた。
「ふっ」
 ヤンの顔を見たラインハルトは半ば吹き出すように笑う。まるで十代半ばの少年のように無邪気な笑顔だった。
 そんなラインハルトを見て、ヤンは笑われた恥ずかしさよりも、美神の寵愛を一身に受けたような美貌と、戦神を眷属に従えたような強さを兼ね備えた目の前の青年が、自分よりも九歳も年若いのだということを思い出していた。
「………」
 ヤンは視線をキルヒアイスの墓へと向ける。この場所に眠る赤毛の青年も同い年だったと記憶している。
「さっきも言ったがそれは俺の無二の友の墓だ」
 ヤンの視線を追ってラインハルトが静かな声で説明する。
 ヤンは小さく頷いた。
「一年前の今日、その友は俺を庇って死んだのだ」
「……!」
 ヤンは目を瞠ってラインハルトを振り返る。
 ラインハルトは笑っていた。
 けれどもヤンにはラインハルトが泣いているように見えた。彼が嗤っているのはきっと己自身なのだろう。
 最も大切な存在を自分自身の手で壊してしまったことへの自責と後悔の。
 わずかに下を向いたラインハルトは一瞬だけ瞑目し、顔を上げた時には既に元どおり毅然とした表情を取り戻していた。
「……さあ、墓参りは終わりだ。俺は同じ場所に長く立ち止まることは許されていないのだ」
「………」
 ヤンはラインハルトの蒼い炎を宿した瞳を静かに見つめた。
 彼が立ち止まることを許さないのは恐らく彼自身なのだ。
「……お前の瞳は宇宙のようだな」
 ふいに呟くように言われてヤンは目を瞠った。
「宇宙を手に入れる、と俺は友と約束したのだ」
 ヤンは思った。
 それは夢物語ではなく、実現する可能性が限りなく高い未来だと。
 ヤンが同盟軍にいたとしても目の前の金髪の勇者が率いる銀河帝国の軍勢に同盟軍が勝てる可能性は多くはない。
 だと言うのに、もしも今のヤンの状態が現実ならば。
「さあ行くぞ。いくら九月とは言え夜は寒いのだからな」
 ラインハルトは軍服の上に着ていた薄地のコートを脱いで、寝間着姿のヤンに着せ掛けた。声が出ないヤンは礼のつもりで頭半分ほど上にあるラインハルトの顔を見上げて頷いた。
 今から一体どこに連れて行かれるのか不安だったが、このままここにいても何の解決にもならない。ヤンは覚悟を決めてラインハルトの先導に従った。

 

NOVELS TOP

 BACK

NEXT