All Right All Night
−3−
by.朔夏
「さあ、入れ」
ラインハルトに促されたヤンは不思議そうな面持ちで傍らの金髪の青年を見上げた。二人が立っているのは粗末とまでは言わないが、古びた民家の軒先だ。
無人の地上車に乗せられて何処へ行くとも告げずにここへ連れてこられた。
てっきり軍関係の施設に連れて行かれると思っていたヤンは状況が理解出来なくて困惑する。
「あらあら、やっと帰ってきたのね、金髪さん……まあ、どなたかお客さん?」
ふいに扉が内側に引かれて二人を暖かな灯りが包んだ。
ヤンが驚いて振り向くと、扉の内側から顔を出した体格のよい老婦人も目を丸くしてヤンの方を見ている。
「フーバー夫人、私の客人です」
そう言ってラインハルトはヤンの肩を両手で軽く自分の前に押し出した。そうされると否応なくフーバーと呼ばれた老婦人の好奇心を滲ませた視線の餌食となってしまい、ヤンは困り果ててラインハルト見上げた。
「まあまあ、可愛らしいお客さんだこと。どうぞお入りになって、黒髪さん?」
老婦人の呼び掛けに『自分のことだろうか』と首を傾げる。ラインハルトが『金髪さん』で自分が『黒髪さん』なら間違いはないだろう。
ヤンはこくりと頷き、口がきけない代わりに律儀にお辞儀をしてみせた。
「あら、おとなしいのね黒髪さんは」
「夫人、彼は言葉が不自由なのです」
「え……?まあ、そうなの?それはお気の毒ね、まだお若いのに」
老婦人の本心からと思われる同情はヤンを不快にはさせなかった。もちろん口がきけなくなったばかりで実感が沸いていないせいもあっただろう。
(でも、ローエングラム公ほどは若くないんだけど……)
それでも目の前のご婦人から見れば息子よりも若いのだろうから褒め言葉として有り難く受け取っておこう、とヤンは小さく微笑んだ。
「まあ、笑顔が素敵な黒髪さんだこと。さあ入ってちょうだい、姉に紹介するわ」
朗らかに笑ってフーバー夫人が促すように歩き出した。後を付いて歩き出そうとしたヤンの耳に不機嫌そうな声が届いた。
「……なんだ、俺はまだお前の笑った顔など見ていないぞ」
背後で低く呟かれた言葉にヤンは驚いてラインハルトを振り返る。当然、その状態で笑顔など浮かべられるわけはなかった。
そんなヤンを一瞥して、ラインハルトの掌がヤンの背中を押し出した。
後ろを向いたまま歩けるほどヤンは器用ではない。
ラインハルトの言葉と拗ねたような表情は気になったが、ひとまず前を向いて夫人の後を追いかけた。
「バスルームはそっちだ、先に入れ」
ばさりと音を立ててヤンの腕に大きめのタオルが降ってくる。焦ったように受け止めて、ヤンは少し離れた場所に立つラインハルトを見つめた。
フーバー夫人はヤンを姉のクーリヒ夫人に紹介し、温かなココアをご馳走してくれた。さすがに声も出せないヤンが『紅茶にしてほしい』と要望することは不可能だった。
フーバー夫人とクーリヒ夫人を交えた(ヤン以外の三人での)歓談はそう長くはなかった。既に深夜と言っても差し支えない時間であったし、ヤンもどっと疲れが出て半分眠りそうになっていたのだ。
それに気付いたラインハルトが二人の老婦人の尽きることのないお喋りを制してヤンを連れて二階へ移動した。老婦人達は残念そうではあったが『また明日ね』と笑顔でヤンを見送ってくれた。
「……どうした?まさかシャワーの浴び方も知らないというわけではあるまい?」
ラインハルトの見当違いな質問をヤンは首を振って否定した。
「違うのか……では、何なのだ?」
ラインハルトが近寄ってきて、少し不機嫌そうに眉根を寄せてヤンの顔を覗き込むように聞いてくる。
ヤンはタオルを胸に抱いたまま困惑した表情でラインハルトの透き通るような蒼い瞳を見上げた。
あまりに意外すぎて困っているのだ。
間違いなく目の前の青年は銀河帝国元帥のラインハルト・フォン・ローエングラムであるはずなのに、こんな見ず知らずの怪しい人間を自分の部屋に泊めるつもりなのだろうか、と。
もちろんヤンとしては帝国軍や憲兵に突き出されてはもっと困ることになるのだが、あまりに無防備に自分を招き入れる敵軍の将が心配になってしまう。まるで子供を心配するような気分だった。
「子供ではあるまいに」
「!?」
自分の考えを読んだかのような言葉がラインハルトの薄く形の良い唇から零れて、ヤンは目を瞠った。
少し皮肉げな、それでいて楽しそうなラインハルトの笑顔。
「ならば一緒に入るか?」
言葉を理解する前にラインハルトの白く長い指がヤンの長めの前髪を掬い上げ、弄ぶように梳かれた。
やっとラインハルトの言っていることを理解したヤンは顔を赤くした。
子供みたいだと思われているのは自分の方だったのだ。
ヤンは焦って幾度も大きく横に首を振ると、ラインハルトの指から逃れるように踵を返した。狭い室内を大股で横切ると、バスルームの扉を勢いよく開けて飛び込む。
途端、古ぼけた小さな鏡に映る自分と視線が合った。
「……!」
ヤンは大きく目を見開いて鏡を見直した。
これまでも確かに年相応には見えないと言われたことはある。
だが、鏡の中に存在するヤン・ウェンリーは昨日まで見ていた自分自身とは大きく異なっていた。ヤンは震える唇を引き結んで、目を凝らしたままゆっくりと鏡に近付く。
重く感じる手を持ち上げて鏡に向かって伸ばす。鏡に映る黒髪の人物の輪郭をなぞるように指先を滑らせた。
そうして同じ指を今度は自らの頬に滑らせる。その様が当然のごとく鏡に映し出される。寸分違わぬ鏡の中の動きを確認したヤンは、膝の力が抜けそうになって逆の手で洗面台の縁を掴んだ。
(なんで私は若返ってるんだ!?)
鏡に映るヤンは初めて同盟軍士官として任官した頃と寸分変わらない姿だった。
「おい、シャワーの使い方が分からないのか?」
ノックと共にラインハルトの声が響く。なかなか水音がしないのに心配になったのだろう。
(これじゃあ私はローエングラム公より年下じゃないか!)
どうりでラインハルトの態度が柔軟なわけだとヤンは納得した。
これではとても軍人どころか成人しているかも怪しい。とても暗殺者だのスパイだのにも見えないだろう。しかも声も出せない上に裸足で徘徊しているのでは病人以外の何者でもない。
「おい?」
苛立ったようなラインハルトの声にヤンは我に返って、バスルームの扉を開けた。上目遣いに見上げるとラインハルトが首を傾げる。
「まだ服も脱いでいないのか?自分では何もできないのか、お前は」
ヤンはまた首を振って否定した。
呆れたような表情でラインハルトが溜め息を吐く。
「では自分で服を脱いでシャワーを浴びることは出来るんだな?」
ヤンは二度頷いた。一緒に入るなどと言われたら困る。
「よし、では15分で上がってこい。俺も明日は仕事なのだ。お前にばかりかまけているわけにはいかないんだぞ」
確かにそのとおりだと思ったヤンは素直に頷いて扉を閉めた。
(悩んでも解決しそうにないことを考えても仕方ない!)
まずは風呂に入って冷たくなった足を暖めよう。
そう考えてヤンは身に着けていたパジャマを脱ぎ、バスルームのカーテンを引いた。
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