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     〜THE NEXT DOOR・前編〜

by.朔夏


 宇宙歴799年、新帝国歴1年の8月、実情として銀河帝国の占領下にある自由惑星同盟において市民の心に唯一の明るい光りを灯す超人気アイドル『新世紀アイドル☆ヤンヤン』は首都ハイネセンを離れ、遠く離れたアルテナ星系にその身を置いていた。
 正確にはアルテナ星系を航行する銀河帝国軍宇宙艦隊の隊列を指揮する旗艦トリスタンの艦内に滞在中である。艦隊司令官はオスカー・フォン・ロイエンタール帝国元帥。そして副司令官はナイトハルト・ミュラー上級大将であるが、ミュラーは護衛艦隊を率いて艦隊の外周を固めているらしい。
 ハイネセンを出発して既に13日が経過しており、当座の目的地であるイゼルローン要塞までは至近の距離である。長旅の疲れというよりは、それ以外のストレスでアイドル・ヤンヤンことヤン・ウェンリーは疲労困憊していた。
「あ〜あ〜、早くイゼルローンに着かないかなあ……」
 柔らかく、そして弾力も適度にあるベッドの上を、大きな枕を抱き締めたヤンはゴロゴロと転がった。すると、緩いウェーブのかかった艶やかな黒髪が白いシーツの上で散らばる。
 その髪を煩わしげに指で掻き乱してヤンは小さく舌打ちをした。
「まったく、なんでこんな長い髪にしていなきゃならないんだ!」
 乱暴とも言える仕草で髪を掻き乱すヤンの言葉遣いは立体テレビのインタビューに応えるアイドルの姿とはかけ離れていた。その上、次の瞬間にはベッドの上に起き上がって胡座をかいたのである。
 ヤンの身に付けている衣服は煌びやかな派手さはないものの、デザインや色遣いは妙齢の女性の魅力をアピールするに相応しい華やかなドレスだった。その可憐なドレス姿で胡座をかかれては台無しである。
 が、これについてはヤン本人も(敵味方の別なく)監視の目がない今でなくては到底実行出来ない蛮行だと自覚はしていた。(ちなみに最初は室内に警備兵が配置されていたが、皇帝ラインハルトの勅命により室内への男性の立入が禁止された。帝国軍には基本的に男性しかおらず、ヤンヤンの随行も男性のみなので実質的には全員立入禁止ということになる。)
 なにしろ、いくらヤン本人が全力で否定したくとも、現在の姿は全宇宙に星の数ほどのファンクラブ会員を有する『新世紀アイドル☆ヤンヤン』なのだ。
 アイドルとしてのヤンヤンのイメージが壊れるだけならアッテンボローに小言を言われたりファンが減るぐらいで済むが、男であることがばれたり、ましてヤンヤンの正体がヤン・ウェンリーであることがばれたりしたら、もう日の当たる場所は歩けなくなってしまう。
「あ……でも、もうそれも時間の問題かもな……」
 ヤンは遠い目で虚ろに笑った。
 そう、あれはハイネセンを出発した当日のことであった。
 今回の『新世紀アイドル☆ヤンヤン護衛艦隊司令官』(という俗称が付いているそうだ。)のオスカー・フォン・ロイエンタールに会食に招かれたヤンは、その最中に失態を犯してしまったらしい。
 と言うよりはおそらくロイエンタールは最初から『ヤンヤン』が『ヤン・ウェンリー』であることを見抜いていたのだ。しかし正直なところ、気付かない他の連中の方が視力検査が必要なレベルだと常々思っていたので別にロイエンタール褒める気にはなれないが、不味いことには変わりない。
「でも!なら!なんで分かっていて帝国に連れて行こうとするんだ!」
 それは皇帝の勅命だから。
 まあ、そうだろうが、連れて行かれてヤン・ウェンリーだとばらされたら一体どうなってしまうのだろうか?
 女装は犯罪ではないと思うが、その目的を問われて一体何と答えればいいのか。
 まさか、今後の叛逆のための資金作りだと馬鹿正直に言うわけにもいかないが、他に適当な理由が思い付かない。
 けれども、女装を趣味だと答えられるほどヤンはまだ人生を捨てきれない。
 だが、これが原因で騒乱罪とか国家反逆罪とかに問われたら……?
「い〜や〜だ〜!!!」
 ヤンは両手で髪を掻き回し、天井に向かって喚いた。
 現在の状況は、これまでのどの戦闘の時よりも絶望的だと感じられた。
「……要は、ヤン・ウェンリーだとばれないうちにヤンヤンそのものがいなくなればいいんじゃないか?」
 そのためにはどうしたらよいか。
 ヤンは戦闘時にも見せないような真剣な表情で腕を組み、計略を巡らせることに集中した。ベッドの上でドレスの裾からはみ出した生足はやっぱり胡座をかいたままであったが。



「本艦は間もなくイゼルローン要塞に入港しますが、艦橋で全景をご覧になってはいかがでしょうか?」
 艦内通信でロイエンタールから『御招待』を受けたヤンは、その後に続けられた「珍しくもないでしょうが」という言葉を笑顔で黙殺し、身なりを整えて艦橋に向かった。左右には専属の護衛であるシェーンコップと所属事務所社長のアッテンボローが陣取り、前後は帝国軍人の護衛が1名ずつ貼り付いている。
 艦内で大袈裟なとは思うが、それを口にすると『ファン心理を甘く見てはいけない』と散々聞いた説教をまた聞かされる羽目になるので、口出しするのはやめた。
 出発初日にロイエンタールに正体を暴かれそうになったヤンの『危機』を『貞操の危機』と勘違いしてヤンを激怒させたシェーンコップとアッテンボローの二人だったが、一週間後には元どおりヤンの警護と話し相手を勤めることとなった。
 なんと言ってもこの狭く退屈な戦艦内である。
 部屋に閉じこもりきりでは持ってきた本のストックも尽きてしまうし、出歩くのに帝国軍の警備兵だけではさすがのヤンもヤンヤンであるが故に心許ない。
 元々、怒りなどの感情が長続きする性分でもないのだ。
 きっとそれも二人には読まれていたのだろうけど。
「ヤンヤンはイゼルローン要塞の実物を見るのは初めてだろうね」
「もちろんですわ、社長」
 廊下を歩きながら右側のアッテンボローが話しかけてきたので、ヤンは可愛らしく小首を傾げて答えた。
 皇帝の勅命により社長のアッテンボローであってもヤンヤンの部屋には入室禁止であり、事前の打ち合わせができない。つまり、ヤンに対して『先輩は初めてじゃなくてもヤンヤンは初めてなんですよ?』という牽制を行っているのだ。もちろん、そのぐらいはヤンにだって分かっているのだが。
「イゼルローン要塞はフロイライン・ヤンヤンのようなものですな」
 と、いきなり訳の分からないことをシェーンコップが言う。
「……おっしゃる意味がよく分かりませんわ、シェーンコップさん」
 歩みを止めないまま、今度は左に陣取ったシェーンコップに笑いかける。しかし、その目は笑っておらず、『またおかしなことを言う気じゃないだろうね?』と主張している。
「あの要塞は、それはもう気高く美しく、そして孤独なのですよ。誰もが手に入れたいと望み、惹き寄せられ、しかし近付けば圧倒的な力で打ち払われる。そう、正に孤高の女王という名が相応しい。全宇宙のアイドルである貴女そのものではないですか!」
 以前、自らが蹴散らした俳優の二人が乗り移ったかのようにオーバーアクションで身振り手振りを加えて力説するシェーンコップをヤンは冷たい眼差しで睨んだ。
 しかし、前後の帝国軍兵士にはヤンの表情は見えず、彼らは(シェーンコップ自体は気に入らないが)心の中で大いに賛同し、シェーンコップの表現に拍手喝采した。
 彼らはシェーンコップが元・同盟軍の薔薇の騎士連隊長で、ヤン・ウェンリーの指揮の下にイゼルローン要塞を陥落した立役者であることをすっかり忘れているらしい。(まあ、その方が雰囲気いいだろう。)
 ヤンは、まだ何か言っているシェーンコップを無視して前方に視線をやった。
「あの、あちらが艦橋になります」
 前方の帝国軍兵士が振り返り、頬をうっすらと紅潮させてヤンに話しかけてくる。
(この人、風邪でも引いてるのかな?感染性じゃないだろうね?)
 頓珍漢なことを考えながらも外見はアイドルとして申し分のない態度でヤンは微笑み、こっくりと頷いて見せた。
 前方の兵士が近付くと、艦橋に続くスライドドアが音もなく左右に開く。
 目に飛び込んできた正面の巨大スクリーンにはイゼルローン要塞の壮麗な全景が映し出されている。
 ヤンは大きく瞳を見開き、ピンクのリップを塗った唇を僅かに開いた。
「綺麗……」
 郷愁にも似た感情を覚えて、ヤンは両手を胸の前で組み、暫し立ち尽くす。
「可愛い……」
「可憐だ……っ」
「美しい……」
「萌えるっ!」
 イゼルローン要塞に見入るヤンヤンの姿に艦橋の兵士達は魅入られていた。
「ふっ……」
 そんな中、その様子を見て皮肉気な笑みを口許に浮かべる帝国元帥。
 その男を不遜に睨め付ける元・イゼルローン要塞防御指揮官。
 そして、艦橋にいるヤンヤンファンの兵士達にヤンヤンとツーショットで写真を撮らせるとしたらいくら稼げるか計算機を叩く敏腕社長。


 その数時間後、『新世紀アイドル☆ヤンヤン護衛艦隊』は一糸乱れることなく、粛々とイゼルローン要塞へ入港を果たした。帝国軍兵士達の心は今、かつてないほどにひとつとなっていた。


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つづく

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