宵闇に龍は誘う

  02

 by 朔夏



 
ヤンは司令官執務室に戻るといつものごとく両足をデスクの上に投げ出して腰掛けた。
 ベレー帽を放り投げ、クセはあるがさらさらとした艶のある黒髪をくしゃりとかき混ぜると、ひとつ溜息を吐いて、一緒に入ってきたユリアンに話しかけた。
「やれやれ、式と名の付くものは何であれごめん被りたいものだね。肩が凝ってしょうがないよ。ユリアン、美味しい紅茶を一杯頼むよ。」
「はい、提督。」
 初めて間近に帝国軍人を見たユリアンは緊張が抜けきっていないのか、いつもより頬に赤みがあり落ち着かない様子だった。しかし出された紅茶はいつもどおり香り高く美味であったので、凝った肩をたたきながらヤンは紅茶を味わっていた。
「……」
 ヤンは15歳の夏に父と共に帝国を訪れ、その際に恋人と呼べる関係になったオスカー・フォン・ロイエンタールが帝国軍の将官としてローエングラム候の麾下にあることを既に知っていた。帝国側も同盟側も情報収集能力自体は似たようなレベルである。要は情報を受け取った首脳部が如何に判断し利用するかで差が出てくるのだ。
 もちろんオスカーもヤン・ウェンリーという存在を多少は知っていたに違いない。
 だが、彼がかつての自分の名とヤン・ウェンリーという存在を繋げることなど不可能であっただろう。
「…嘘はつかない、か…」
「提督?」
 ヤンの独り言にユリアンが不思議そうに問いかける。なんでもない、と手を振ってヤンは机に放り投げていたベレー帽を顔に乗せた。
 帝国軍代表が当初のキルヒアイス上級大将からロイエンタール大将に変更されたとの通知があった時、最初は動揺したが所詮逃げられる立場ではない。開き直って捕虜交換式に出ると決めた後は、もう何も考えないことにしていた。
 オスカーが自分を『シャオ』だと気付くかどうかも分からない。
 東洋系の顔は見分けが付きにくいと言われることでもあるし、と自分に言い聞かせていた。
 もし疑われても他人の空似で通せば、どうせ彼らがイゼルローンに滞在するのは僅か二日間なのだ、と。
 だが、式の時の彼の様子では気付いた可能性が高い。
 何かアクションを起こしてくるかも知れない、と思うと落ち着かないヤンだった。
「あの…ヤン提督?」
 小さな声でユリアンがヤンに話しかけてくる。
「…なんだいユリアン?」
 ユリアンの心配そうな気配を感じて、ヤンはベレー帽を取って微笑する。暗い顔はしていない、と安心させるために。
「実は…、式の後、退出されるロイエンタール大将に声をかけられたんです。」
「…ほう、それはまた…いい経験だったね。なんと言われたんだい?」
 今のヤンにとっては敵襲以上に心臓に悪い人物の名前に、どうコメントしてよいものやら戸惑いつつ言葉を発した。
 ユリアンの方もよく分からないと言いたげな顔をしている。
「ロイエンタール大将は僕に質問をされたのですが…」
「質問?」
「はい、それがヤン提督のお父さんの名前を聞かれたんです。」
「…父の?」
 オスカーが知っている『シャオ』の情報は少ない。『シャオ』自身が語った事以外は父の名前ぐらいのものである。
 また父親の名前なら親しい者は知っている可能性も高い。
 ピンポイントでユリアンに声を掛ける辺り、やはり判断能力は高いらしい。
「……」
「あ、でも僕、言ってませんから!知ってますけど、言ってません!」
 むっつりと考え込んでしまったヤンにユリアンがあわてて弁解する。
 被保護者にいらぬ心配を掛けていることに気付いてヤンは微笑んだ。
「…あ、いや、大丈夫だよユリアン。ただ、何故そんなことを聞くんだろうかと思っただけだよ。」
「…そう言えば、式典の時も少し様子が変でしたよね。」
「うん…、もしかして私とよく似た知り合いでもいるんじゃないのかな?」
「えっ!それって、提督とそっくりな人が銀河帝国にいるかもしれないんですか!?うわ〜なんか、スゴイですね〜!」
「私と違って真面目で勤勉でキレイ好きかも知れないよ?」
「ええっ!それじゃあ、僕の存在がいらなくなっちゃうかも知れませんね。」
 しゅんとするユリアンが微笑ましくてヤンは笑った。
「ユリアン、少なくともこっちの私は不真面目でサボり好きで家事が苦手だ。そうでなくたってユリアンをいらなくなったりはしないさ。」
「提督!」
 ヤンに亜麻色の髪をくしゃりと掻き混ぜられて、ユリアンは笑った。
 ヤンも自然と顔を綻ばせる。
 オスカーと出逢った15の頃には存在することのなかった愛しい人々が、今はヤンの周囲にはたくさんいる。
 あの時なら彼の手だけを取ることが出来た。
 だが今となっては不可能だ。
 彼に対する自分の気持ちが変わったわけではない。
 しかし、例え今ここで手を差し伸べられたとしても、決して彼の手を取ることが出来ないことはヤンには痛いほど分かっていた。
 出来れば自分のことは死んだとでも思っていてほしい。
 それがダメなら裏切り者と憎んでくれればいい。
 悲しいけれど、二人の道は決して交わることはないのだから。


 ヤンのデスクの上でヴィジフォンの呼び出し音が鳴る。
 着信のコールサインはキャゼルヌのものだった。
「はい。」
 受信ボタンをオンにすると、デスクの正面の壁のディスプレイにキャゼルヌ少将が映し出された。
 それでなくとも普段から要塞管理の事務処理に奔走している中、『捕虜交換事務総長』というありがたくもない肩書きまで押しつけられてキャゼルヌの機嫌はよろしくなかった。
 特に今回の捕虜交換式が政府の人気取りとローエングラム候の策略であることが分かっているにも関わらず、引き受けざるを得ない状態であるため、キャゼルヌでなくとも内心はいい気はしない。
「おい、あちらさんが面会を申し込んできてるぞ?」
 これ以上、いらぬ心痛を与えてくれるなと言いたげな苦虫を噛み潰したような顔でキャゼルヌが告げる。
「…私に、ですか?」
「そうだ。ロイエンタール大将がヤン・ウェンリー要塞司令官に面会したいんだと。」
 溜め息をつきながら投げやりな口調で言うキャゼルヌは内心ではヤンが断ることを期待していた。
 面倒事は嫌いだし、自分にはそういった権限はないから、といつもの後輩なら答えるだろうと。
 だがヤンは面会を断ることでロイエンタールがさらに疑いを強める可能性が高いと判断した。
 まさか、彼も騒ぎを起こすようなことはしないだろうが、自分たちが知り合いだと分かるような言動をされては互いのためにはならない。自分はともかく、彼に危険が及ぶようなことになっては何も意味がない。
「…分かりました。日時と場所の設定をお願いします。」
 ヤンの返答にキャゼルヌは一瞬目を瞠ったが、すぐに頷いて『後でまた連絡する』と告げてヴィジフォンを切った。
「提督、ロイエンタール大将にお会いになるんですか?」
 少し離れて立っていたユリアンがヤンに尋ねる。
「うん、何の話かは分からないけど、私によく似た人の話を聞かせてくれるかも知れないよ?」
「うわ〜、楽しみですね!」
 無邪気な笑顔で喜ぶユリアンにヤンの心は少し痛んだ。
 これは決して皆に対する裏切りではないのだと心に言い聞かせて、ヤンはキャゼルヌからの連絡を待った。


 

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