宵闇に龍は誘う

  03

 by 朔夏




『日時:2月19日20時30分〜21時、場所:イゼルローン駐留艦隊司令部内貴賓室』

 キャゼルヌが設定した面会場所へやって来たのはロイエンタールただ一人だった。
 さすがに帝国軍代表の大将ともあろう者が護衛の一人も付けずに敵の本拠地へ単身で乗り込んでくるとはヤン艦隊の誰も予想しておらず、戸惑いを隠せなかった。
 その中でヤン一人だけがロイエンタールの心中を察し、すべての人員に退席を命じた。
「しかしそれは!」
 当然シェーンコップは反対したが、ヤンの普段は見ることのない強い眼差しに言葉を飲んだ。
「…では、小官は隣室で控えさせていただきます。」
 これだけは譲れないという意志をヤンに主張すると、ヤンも柔らかく笑って許可した。
 シェーンコップは、部屋に入った際に名乗ってからは無言で立っているロイエンタールに目線を移す。
 威嚇とも取れるようなシェーンコップの眼差しにも怯むことなく、ロイエンタールは薄く笑った。
「……」
 お綺麗な顔をしているが神経はザイル並だ、とシェーンコップは感想を持った。
 ロイエンタールが何のためにヤン提督との面会を希望したのかが分かっていない以上、油断するわけにはいかなかった。
「…准将、いいかな?」
 ヤンが控えめにシェーンコップに退席を求める。
 ロイエンタールから視線を外さないまま、シェーンコップは敬礼し隣室へと下がった。
「…なかなか良い部下をお持ちのようだ。」
 無言で立っていたロイエンタールがシェーンコップの姿が消えた扉を見ながら口を開いた。
「ええ、彼は歴戦の勇士ですよ。今は防御指揮官の任に着いています。」
 ヤンはロイエンタールに椅子を勧め、自らも腰を下ろした。
「何か飲み物を持ってこさせましょう。コーヒーでよろしいですか?」
 手元の呼び出しボタンを押しながらヤンはロイエンタールに尋ねる。
「…ヤン提督のお好きな物で…」
 ヤンをじっと見つめながらのロイエンタールの返事にヤンは戸惑った。
 やはり彼は自分を『シャオ』だと疑っているのだろうか。
「…ではブランデーを持って来させましょう。もう夜ですから構わないでしょう?」
「…ええ、私の方は構いません。」
 ヤンが指示を出すと、1分もしないうちにブランデーと氷の入ったグラスが運ばれてきた。
「本当はストレートが好きなんですが、あまり酔っぱらってもよくないでしょうからね。」
 ヤンがブランデーを二つのグラスに注いで、一方をロイエンタールに渡す。
 貴賓室には15〜6人ほどが囲める大きな応接セットと、4人掛用の小さな応接セットがあり、ヤンはシェーンコップが控えている隣室から遠い方の小さな応接セットを選んでいた。
 そのため、ロイエンタールとの距離はテーブルの幅の僅か80cm程度しか隔てられておらず、手を伸ばせば十分に届く距離であった。
「何に乾杯しましょうか?捕虜交換式の成功を祝って?」
「…本当に成功だと思っているのですか?」
 ヤンの言葉を取ってロイエンタールはヤンに問い掛けた。
 ロイエンタールの言葉の意味はヤンにも分かっている。
 だがそれを言ったところで何になると言うのか。
「…捕虜交換式は成功ですよ。お互いに200万の将兵を取り戻すことができたのですから。」
「しかし…」
「ロイエンタール提督、これから先のことは起こってみなければ誰も信じないのです。実現してもいない未来を恐れて捕虜の返還を断ることなど我々にはできません。不可能なのです。」
 ローエングラム候の思惑は分かっていると言外に込めて、ヤンは話を終わらせた。ロイエンタールは何も答えなかったが、ヤンの言いたいことは伝わったようだった。
「…捕虜交換式がご不満なら、私たちの出会いにでも乾杯しましょう。」
 帝国軍代表の使者に対して少々礼を失した物言いをしてしまったと反省して、ヤンは柔らかく笑いかけた。
 そんなヤンを見てロイエンタールは何とも言えない表情を浮かべる。
「…再会とは言ってくれないのか?」
 ヤンの差し出したグラスが不自然に揺れる。
 どくどくと脈打つ心臓にヤンは静まることを命じたが、いつでも一番ヤンの命令を聞かないのはヤン自身の身体だった。
「…ロイエンタール提督?私は閣下にお会いするのは初めてだと思いますが?」
 震えそうになる手を意志の力で抑えてグラスをテーブルに置き、ヤンは用意していた言葉を告げる。
「……」
 ロイエンタールの黒と青の金銀妖瞳がヤンを凝視している。
 ヤンの一挙手一投足をも見逃すまいと言うかのように。
「…どなたか、私によく似た方と間違われているのではないでしょうか?」
 ヤンは努めて平静を装い、ロイエンタールに向かって微笑んで見せる。
 ロイエンタールの瞳が翳りを帯びて、テーブルに置かれたグラスへと移った。
「…どうやら私の思い違いのようです。失礼いたしました。」
 納得した様子のロイエンタールにヤンは心の中でほっと胸を撫で下ろした。
「…いいえ、世の中には誰にでも自分とよく似た人間が何人かいると言いますから。」
「そうですか…それは知りませんでした。」
 グラスの氷がブランデーに溶けて音を立てた。
 沈黙が辺りを包み、ヤンは息苦しさを感じて、手元のグラスを取った。
「ロイエンタール提督、せっかくの時間が過ぎていってしまいます。せめて一杯ぐらい飲まないと私も心残りです。」
 グラスを持ち上げてロイエンタールを促すと、ロイエンタールも顔を上げて苦笑した。
「そうですね、申し訳ない。それではヤン・ウェンリー大将のこれからのご活躍に乾杯と行きましょう。」
「それは…」
 困ったような顔をするヤンにロイエンタールは女性ならすぐに落ちてしまいそうな微笑を見せる。
「まあいいではないですか。それでは乾杯。」
「はは、じゃあ…乾杯。」
 音を立てて触れ合ったグラスを二人は一息に飲み干した。
 氷が溶けて多少は薄くなったとは言え、ロックなのだからほとんど生地である。
「もう一杯行きますか?」
 ヤンが尋ねるとロイエンタールは首を振った。
「これ以上長居してはご迷惑でしょう。」
 時計を見ると20時55分を回っていた。予定終了時間は21時。会談を終えるには適当な時間である。
「帝国軍の皆さんも心配していらしゃるでしょうしね。」
 ヤンが同意すると、ロイエンタールは席を立った。
 ヤンもロイエンタールに倣って立ち上がる。
「それでは…もう二度と顔を合わせることもないでしょうが…」
 ヤンの言葉にロイエンタールが苦笑する。
「そうですね。戦場で相見えることはあっても、こうして生身でお会いすることはきっとないでしょう。」
 二人は昼間と同じように握手を交わした。昼間と違ったのは通常の速度で握手が終わったことだけだった。
 退室するロイエンタールを先導しようとヤンが歩き出す。
 しかし緊張を忘れたヤンの足は、つい思わぬ方向へ出され、今まで使っていた応接テーブルの脚へと引っ掛けられた。
「うわっ!」
「危ない!」
 大きく体を傾けたヤンの腕を掴んでロイエンタールは胸元に引き寄せる。
 その動きでテーブルの上に置いてあったブランデーの瓶が音を立てて倒れた。
 しかし、ロイエンタールはヤンを胸に抱き込んだまま動きを止めている。
「ロイ…」
「閣下!」
 ヤンがロイエンタールに話しかけるのと同時に隣室のドアが勢いよく開き、ブラスターを構えたシェーンコップが飛び込んできた。
「シェーンコップ!待て、誤解だ!」
 焦って叫ぶヤンだったが肝心のロイエンタールがまったく動かない。
「ロイエンタール大将、ヤン提督を離していただきましょうか?」
 シェーンコップも状況はなんとなく理解できたようだったが、だからと言っていつまでもヤンがロイエンタールの腕の中にいるのは許し難かった。
 しかしシェーンコップの剣呑な物言いにもロイエンタールは反応しない。
「…ロイエンタール提督?」
 ヤンが恐る恐るロイエンタールを見上げると、ロイエンタールがピクリと動いた。
 そして目を見開いてヤンの顔を凝視する。
「ロイエンタール大将、お遊びはそれぐらいにしていただきます。」
「シェーンコップ!」
 いつの間にかロイエンタールの背後に回り込んでいたシェーンコップがブラスターの銃口をロイエンタールの後頭部に突き付けていた。
「ロイエンタール提督、助けていただいてありがとうございます。しかし、部下が誤解をしておりますので離れていただけますでしょうか?」
 ヤンは丁寧に言いながら、ロイエンタールの腕から抜け出そうとする。
 ロイエンタールは無言でヤンの顔を見つめながら手を離した。
「シェーンコップ准将、このとおりロイエンタール提督は私が転ぶのを助けてくださっただけだ。物騒なものはしまってくれないか?」
 シェーンコップは仕方ないといった表情でブラスターを下げた。だが手には持ったままである。
「申し訳ありません、ロイエンタール提督。帰りは他の者に送らせますので今夜はこれで。」
「…分かりました。」
 言葉少なにロイエンタールは貴賓室を後にして宇宙港の旗艦トリスタンへと帰って行った。
 だが、別れ際にヤンを射抜くように見た瞳はヤンの心に不安の種を蒔き、ヤンはその夜ついに一睡もすることが出来なかった。
  


 

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