宵闇に龍は誘う

  12

 by 朔夏



『AM06:54』
 腕の時計を確認してシェーンコップは一瞬瞑目した。
 ヤンの行方が掴めなくなってから1時間は経っている計算になる。ヤンがエレベーターを降りてからで考えれば2時間近い。
 もしもヤンに危害を加える目的で何者かが連れ去ったのなら、猶予を与えすぎてしまっていた。
 薄暗かった空にも人工の太陽が昇りかけ、外灯がなくても周囲が見える程度の明るさになっている。
「シェーンコップ准将、今から脱出口の侵入扉を開放します」
 司令部内専用の通信機でユリアンから告げられた内容に短く了承の意を返して、シェーンコップはリンツへ目配せする。
 二人が立っている位置は中庭のユリアンが算出した脱出口があるはずの座標の手前だったが、見た目には特にそれと分かるような様子はない。
 だが確かにこの付近でヤンのものと思われるベレー帽が発見されており、ヤンの身に着けている非常発信装置の信号の座標ともほぼ合致している。
 緊張した面持ちで地面を睨む二人の表情が変化した。
「動くぞ」
 二人の目の前で短い下草の生えた地面が微かに動きを見せた。
 1メートル四方の範囲の地面がその周囲と完全に分断され、ゆっくりと下がっていく。
 下がった部分から覗く隔壁が、この空間が間違いなく目的を持って作られたものであることを示していた。
 地面を真四角に切り取ったような面が20cmも下がったかと思うと、今度は二つに分かれて左右の隔壁の隙間に吸い込まれるように入っていく。
 自身がごくりと唾を飲み込む音が大きくリンツの耳に響いた。 
「俺が先に降りる。お前は後から来い」
 シェーンコップの声を耳にして、リンツは自分が何故そこまで緊張しているのかの原因に思い至った。いつもなら、どんな過酷な状況でも余裕の笑みを絶やさず、自分たちの緊張を解きほぐすような軽口を言ってのけるシェーンコップであるのに、今の彼は笑う素振りも見せていない。
 それも仕方のないことだと思いながら指示に頷きかえし、リンツは手探りで自らのブラスターの位置を確認した。
 

 機械音声が告げる警告の内容にヤンは閉じた目を見開いた。
 ロイエンタールが舌打ちしてヤンから離れ、数メートル先の壁際の操作パネルのようなものへ向かって走る。ロック解除を停止させるつもりらしいが、ロイエンタールが辿り着く寸前に、赤く光っていた『侵入扉ロック』の表示灯が赤色の点滅に変わった。おそらく点滅が終わればロックが解除されるのだろう。
 それが行方を眩ませている自身を捜すための司令部内の動きに起因するものであろうことを理解したヤンは、壁際でロック解除を止めようとコンソールを操作しているロイエンタールへ走り寄った。
「もういいオスカー!早く行かないと誰かが来てしまう!」
 いくらロイエンタールが捕虜交換式の帝国軍代表とは言え、この状態で同盟軍側に見付かれば、ヤンを拉致しようとしたことは明白であり言い逃れは不可能だろう。
 腕を掴んで止めるヤンを見下ろしてロイエンタールは秀麗な眉根を寄せる。
「だが…」
「今度こそ約束は忘れないから…今は自分のことを考えてくれないか…」
 穏やかな微笑みで言い聞かせるように告げるヤンを僅かの間見つめていたロイエンタールだったが、短く溜め息を吐くとヤンの肩を引き寄せ、その髪に唇を埋めて抱き寄せる。
 一秒でも早くロイエンタールを立ち去らせる必要があることを頭では理解しながらも、その手を振り解くことができずにヤンはロイエンタールの広い背中にその手を添わせた。
 ロイエンタールの体温を感じていると、鳴り続けている警告ブザーの音すらも遠くなる。
 顎に指をかけられて目線を上げると、もう何度目か分からない口付けが降ってきて、促されるままに受け入れている。
 名残惜しげに唇が離れても視線は絡み合ったままで抱き合った身体を離すこともできない。
 どんなに言葉で誓い合っても、離れたら最後になるかもしれないことを知っているから。
『脱出用経路B−002、侵入扉ロックが解除されました』 
 最終通告とも言えるシステムの音声にヤンは小さく身体を震わせ、ロイエンタールの腕からするりと逃れて後退った。 
 表示灯の点滅が止まりランプがグリーンに点灯する。周囲に作動音が響き、侵入口の隙間からかフロアへ筋のように光が差し込んできた。地上は夜明けを迎えているのだろうか。
「…オスカー」
 二人のいる場所は侵入口からはやや奥まっているため、誰かが降りてくるまでは発見されないようだが、それも時間の問題だった。もはや一刻の猶予もないと言う方が正しい。
「…必ず迎えにくるぞ、フェイロン」
「うん…待ってるから…」
 ロイエンタールは薄く笑うとヤンの左手を取り、その薬指に唇を這わせた。
「次に逢う時には指輪が落ちないようにしっかり肉を付けておけよ」
「…努力はするけどね、いいから早く行きなよ」
 半分顔を赤くしながらも、切羽詰まった状況にヤンはロイエンタールを力を込めて押しやった。
 そんなヤンの様子に唇の端を上げて笑うと、ロイエンタールは踵を返しかけて再びヤンに向き直った。
「言い忘れるところだったが…」
「なんだい、早くしないと誰かが来るぞ」
「浮気はするなよ」
「…いいから早く帰ってくれ!」
 数少ない運動神経を酷使して帝国でも指折りの色男に蹴りを入れるというヤンの挑戦は空振りに終わった。
 ヤンの攻撃を軽やかにかわして数歩下がったロイエンタールは笑みを浮かべていたが、ヤンの後方に視線をやり表情を硬くした。
「…どうやらお迎えが来たようだな」
 ヤンが振り返ると、フロアを真四角に切り取ったような光の中に覗き込むような人影が映っている。おそらくはシェーンコップあたりだろう。
 誰かが降りてくる前にロイエンタールを立ち去らせなければならない。
 名残は尽きないが猶予はない。
「…じゃあ、私も帰るから」
 いつまでも去ろうとしないロイエンタールに背を向け、ヤンは別れを告げる。
 数秒の後、無言のまま踵を返し、歩き出したロイエンタールの気配を感じ取ると、ヤンはせめて振り返って、立ち去る後ろ姿だけでも最後まで見ていたいと強く思う。
 だが、ヤンがそうしてしまえばロイエンタールもまた振り向いてしまうだろう。
 遠離っていくロイエンタールの気配を感じながら、強く目を閉じて感情を抑え込むように自らの腕を抱くヤンの背後で、低い振動と作動音が響いた。   
 ロイエンタールがヤンを抱き抱えて飛び降りた侵入扉が自動的に閉鎖されたように、脱出者が通過すれば自動的に降りる仕組みになっているのか、ロイエンタールが通過した通路の上方から通路を遮断するための隔壁がゆっくりと降りて来る。
 その作動音にヤンは堪えきれず背後を振り向いてしまった。
 瞠目したヤンの視線の先でロイエンタールもまたこちらを見ていた。
 だが二人とも立った位置から距離を縮めようとはしなかった。
 ただ瞳を見交わして想いを確かめ合うことしかできない。
 今はあまりにも違う二人の居場所を顕すかのように、降りてくる隔壁がゆっくりと二人の間を遮ってゆく。


『いつか同じ場所で生きていく為に…今は別々の場所で生き抜く努力をしよう』


 完全に通路が遮断されたその時、急激に暗くなる意識と頽れる膝を支えられず、ヤンは壁に凭れかかりながら冷たいフロアへとその身を沈み込ませた。  
  



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