医務室を後にしたシェーンコップは本人不在の事務監執務室から帝国軍旗艦トリスタンへ通信を入れた。出立に関しての確認事項があると告げると、副官のレッケンドルフが姿を見せた。本来ならばキャゼルヌの管轄ではあるが、シェーンコップの要塞防御指揮官という立場であれば越権行為と言う程でもない。 出航予定時刻等に変更がないかを適当に確認したシェーンコップは本題を切り出した。 「実はヤン司令官が出立前にロイエンタール提督との面会を希望しているのですが、ロイエンタール提督のご都合をお聞かせいただきたい」 シェーンコップはレッケンドルフの表情を注視していた。 シェーンコップの要請に対し、微かに緊張を高めた様子が見て取れたが、ひとつ咳払いをして口を開いた。 「……そうですか。あいにくロイエンタール提督は現在のところ艦橋には不在ですので…確認の上、返答させていただいてよろしいですか?」 「……いえ、でしたらまた機会を見てこちらから連絡しますので結構です」 では、と告げて通信を切ったシェーンコップは真っ暗になった通信ディスプレイに射抜くような視線を向け、しばらく無言で考え込んでいた。 「おっ、なんだ、こんなところにいたのか?俺に何か用か?」 ドアの滑る音と共にキャゼルヌが入ってくる。 振り返ったものの無言のままのシェーンコップを見て、キャゼルヌも怪訝そうな顔付きになる。 「…どうした?」 いつものシェーンコップらしくない動揺した表情と鈍い反応。 長い付き合いではないが、この男のそんな様子を見るのはキャゼルヌは初めてだった。 「何かあったのか?」 「いえ…いいえ、なんでもありません。少々考え事をしていましたもので。それよりヤン提督のご様子はいかがでしたかな?」 「あ、ああ…大したことはないようだ。今はいつものごとく惰眠を貪っているようだが、今日のスケジュールは変更なしで行く」 取り繕うようではあったが、いつもどおりの表情を浮かべてシェーンコップが問い返してきたので、キャゼルヌもそれ以上追求することが出来ない。自分に言う必要があれば問い詰めなくても言うだろう。 シェーンコップは帝国軍との確認事項の内容をキャゼルヌに告げて事務監執務室を後にした。 医務室のドアをノックしたが返事はなかった。キャゼルヌの言ったように眠ってしまっているのだろうか。 「シェーンコップです。入ります」 一応、声をかけて入室する。 案の定、眠ってしまっている様子のヤンにそっと近付いてみると、寝返りを打ったせいかケットがずれて肩と右腕が出てしまっていた。空調は効いているが、眠っている時は体温が下がるので風邪を引くかもしれない。 「失礼」 ケットを引き上げつつ右腕を持ち上げた時にふとシェーンコップの目が手首の包帯に止まる。 ヤンの手首の手当を施したのは軍医ではなくシェーンコップだった。 最初にヤンを発見した際に、倒れているヤンの呼吸や脈拍、外傷の有無をざっと確認した時に気付いた手首の擦過傷と鬱血。いくらヤンが器用な落ち方をしても、そんな傷は付かない。 常備している救急セットから消毒薬と湿布、包帯を取り出して手早く処置をしながらシェーンコップの脳裏には一人の男の姿が浮かんでいた。 あの金銀妖瞳の男。 捕虜交換式の時点でどこかおかしかったが、昨夜の異例とも言える単身での面会要請と、その際のヤンに対する行動はシェーンコップに不審を抱かせるには充分だった。 そして脱出経路の隔壁はヤンのいた場所より宙港側が降りていた。 入口のシステムから推測すると『誰か』が通過しなければ降りない仕組みのはずだ。 トリスタンの艦橋にいなかったロイエンタール。 シェーンコップの要請に対するレッケンドルフの動揺した態度。 もしもあの時点でロイエンタールがトリスタン艦内に不在だったのだとすれば、出る結論は自ずと知れる。 「…しかし、あなたはそれを我々には決して言わないのでしょう?」 それが何を意味するのか予測しながらも、シェーンコップはヤンが今ここにいることが答えなのだと信じたかった。 目の前で眠る恒星のような存在に選ばれたのは、あの帝国の男ではなく自分達なのだと。 ヤンの右腕をケットの中に入れて、首元まで引き上げる。 やはり寒かったのかケットの温もりに包まれて、ヤンが微かに微笑んだ。 その年齢にそぐわない子どものような表情を見てシェーンコップも口元が緩む。 だがシェーンコップの視線が点滴の針を刺しているためケットからはみ出している左手に止まった。 ヤンを救出した時には手首の傷の方に集中していたせいか気付かなかったそれ。 だが、身なりに無頓着で貴金属の類を身に着けていることなど見たこともないヤンの中指に銀色に光っているのは間違いなく指輪だった。 左側に周り込んでそっと手を取り、掌を返すと細かな細工が見て取れる。宝石自体はさほど高価な物ではなさそうだがカットは丁寧だった。 だが、何より宝石の色に心がざわめく。 打ち消そうとしても浮かんでくる金銀妖瞳の男。 「……シェーンコップ…?」 呼びかけに身体を揺らしてシェーンコップは声の主を見た。 寝起きの茫洋とした瞳が自分を見ている。 宇宙の深淵のような瞳に見据えられて、シェーンコップは筋違いと分かっていても怒りにも似た衝動が沸き起こる。 だがシェーンコップは奥歯を噛み締め、間近にあるヤンの顔を睨むように見返した。 ヤンの口から何を聞いたわけでもない。 すべてはシェーンコップの予測であり、証拠は何もない。 それに、もしもヤンとロイエンタールに何かがあったとしても、ヤンが同盟軍に在籍する限りロイエンタールとは敵同士なのだ。 ヤンはユリアンを始め、自分の部下達を決して見捨てることなどできない。 例え、ヤンが誰よりあの男を愛していたとしても。 「シェーンコップ准将…?」 まだ意識がはっきりしないのか、子どものような表情で自分を見るヤンにシェーンコップは微笑んでみせる。 「閣下、隅に置けませんな。この指輪はどうされたので?」 「え…っ?あ、ああ…これは」 最初は本当に何のことか分からないような顔だったが、質問の意味が分かったらしく、微かに頬を染める。 「これは…なんというか、その、父の形見だよ」 「形見…ですか?しかし…今まではされていなかったと思いましたが?」 「うん、まあ…今朝までは見付からなかったから…でもやっと見付けたんだ」 愛おしげに指輪を見つめるヤンの嬉しそうな表情が指輪ではなく別の何かを見ているように見えて、シェーンコップの胸中には暗い感情が芽生える。 シェーンコップは後ろポケットから何かを取り出し、ヤンの目の前に広げて見せた。 「閣下…こちらは如何いたしましょうか?」 「……それ、は…」 ヤンがポケットにねじこんだはずのスカーフがシェーンコップの手にあった。 ヤンの手首を縛り付けていたために出来た皺と付着したわずかな血液が見て取れる。 「何故、きみがそれを持っているんだ…それは私の物だろう?」 「ええ、そうですね。ですが、これは証拠物件ですから、あなたには提出の義務がある」 「証拠物件?いったいなんのだい?何も事件など起きてやしないのに証拠なんて必要ないだろう?」 「……そうですね。あなたが何も言わない限り、今朝のことはあなたの不注意で起きた騒動でしかない。ですが、あなたは私をあなたの下手な芝居すら見抜けないような男だと思っておられるのですかな?」 「………」 シェーンコップの詰問するような口調にヤンは視線を逸らすでもなく真っ直ぐに見返してくる。しばらく無言の睨み合いが続いたが、溜め息と共にヤンが目を閉じた。 「きみが今回のことをどう思っているかは分からないけど、私は何も言う気はないよ。きみが不満なら、私を更迭するように上層部に具申するといい。私は構わない」 「そうなれば、あの男と戦わなくてよいからですか?」 ヤンの双眸が再びシェーンコップを捉える。 シェーンコップは広げていたスカーフを無造作にポケットへ戻すと、横たわっているヤンの顔の両側に手を広げ、覆い被さるように覗き込む。 無言でシェーンコップを見上げるヤンは狼狽の色も見せない。 「そんな勝手なことが許されると思っているんですか?」 「…私は命令に従うだけだよ。きみが何も言わなければ私はこのまま第十三艦隊司令官としての務めを果たすだけだ。相手が誰であろうと命令があれば戦うさ」 真っ直ぐな眼差しと強い声音で言い切るヤンにシェーンコップはうっすらと嗤ってみせる。 「……そうですか。閣下がそこまでおっしゃるのなら私は黙っていましょう。そしていつもあなたを見ていますよ。あなたが我々を…薔薇の騎士連隊を信じると言ったように、私達もあなたを信じて付いてきているのですから」 シェーンコップが囁くように告げる言葉は確実にヤンを縛る枷となる。 「……分かっているさ。好きで軍人になったわけじゃないが、給料を貰っている間はそれなりに働くつもりだよ」 「ええ、そうしていただければ助かります」 では仕事に戻ります、と告げてシェーンコップが出て行った扉をしばらくの間、ヤンは見つめていた。
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