バーミリオン星域会戦が終結し、『バーラトの和約』が成立した後、かねてよりの念願だった軍からの退役と年金生活を手に入れたヤン・ウェンリーは、副官であったフレデリカ・グリーンヒルと華燭の典を挙げる…はずであった。 ところが、その予定はあっさり当のフレデリカ本人にキャンセルされてしまった。 「もちろん閣下のことは変わらず愛していますわv」 と笑顔で告げながら、何故か結婚は取りやめると言うフレデリカにヤンは困惑した。 しかし、戦争が終わった今、フレデリカ自身も考えることがあるのだろうし、軍を退役してしまったヤンに魅力を感じなくなってしまったのかも知れない…と寂しさと諦めを以て了承したヤンであった。 ところが、フレデリカはアッテンボローと共にとんでもない提案をしてきたのである。 「いずれ『動くシャーウッドの森』が必要になった時には、莫大な資金が必要になります。だから、自由に動ける今のうちに資金集めをしようと思うんです!」 確かに金はないよりあった方がいいに決まっている。 『しかし、帝国の目を欺きながら莫大な資金をかき集めることなど可能なのだろうか?』 『ましてやその活動によって、逆に疑いの目をこちらに向けることにはならないだろうか?』 当然とも言えるヤンの質問に二人は、にっこり笑って答えた。 「大丈夫です!その代わりと言っては何ですが、ヤン提督にも少々協力していただきますv」 任せてください!と張り切る二人にヤンは『危険なことはないね?』と再度念を押し、了承したのだった。
確かに了承した。 協力もすると言った。 しかし、何故こんなことを30歳を過ぎた男がしなければならないのだろう…。 「閣下!胡座はやめてください!せっかくのドレスがだいなしですわ!」 「そんなことを言われても…私に女性の立ち居振る舞いなんて分からないよ!」 ハイネセン郊外に借りたオフィス兼撮影スタジオで、ヤンは激しく後悔していた。 「だいたい何故こんなことをしなければならないんだ!一体なんの役に立つと思って君たちは私にこんなことをさせているのか分からないよ!」 情けなくも泣き出しそうになって、ヤンが目を擦ろうとすると、フレデリカがヤンの手を取って止める。 「ダメですわ、閣下。手で擦るとマスカラが取れてしまいますわ。」 そう言って、わざわざ綿棒を取り出して、ヤンの目尻に浮かんだ涙をぬぐう。 にっこりとフレデリカに微笑まれて、ヤンは一瞬怒りを忘れた。 「ありがとう…、じゃなくて!だから!なんで私が女装しなくちゃいけないんだい!?」 突然、この場所に連れて来られたかと思えば、フレデリカともう一人の女性(フレデリカとは旧知の親友らしい)にカミソリを顔や眉に当てられ、ヒラヒラした女性の服を着せられ、腰までありそうなウェーブのかかった黒髪のカツラを被せられた。 そして、あれこれと顔に塗りたくられて、呆然としているうちに、気が付けばヤンは完璧な女装をさせられていたのである。 縦横2mはありそうな鏡の前に引き出され、両側を妙齢の美しい女性に挟まれて、ヤンは一瞬、自分の姿を見つけることが出来なかった。 それほど、鏡の中のヤン・ウェンリーは別人のようだった。 「以前、イゼルローンで新年パーティーをした際に女性達にお化粧させられた閣下を見て思いましたの!完璧に女装すれば間違いなく閣下は美女で通りますわ!」 頬を紅潮させ、目を輝かせて主張するフレデリカを見て、ヤンは『そんなわけないだろう』と思いながら、既視感にとらわれる。 プロポーズした時も彼女はこんな表情をしてくれた。 けれど… 「…とても嬉しそうだね、フレデリカ…」 「最高ですわ!閣下!今までよりも、もっと好きになってしまいましたわ!」 そうか、フレデリカはまだ私のことを好きでいてくれるのか、と一瞬顔を赤くしたが、よく考えてみれば『男の姿のヤン・ウェンリーよりも女装したヤン・ウェンリーが好きだ』と言われていることに気付いて、ヤンは深く脱力した。 そんなヤンに気付くことも構うこともなく、もう一人の女性と手を取り合ってはしゃいでいるフレデリカ。 自分がプロポーズした時より遙かに高揚し、楽しそうな彼女の姿に、ヤンは深い溜め息を吐いた。
アッテンボローのプロデュースにより、ヤンの女装した姿は『新世紀アイドル☆ヤンヤン』として企業CMに出演し、放送電波にのってしまった。 しかもヤンは『絶対通用しない!』と言い張ったのに、『性別・(もちろん)女、年齢・20歳』とプロフィールを公表されてしまった。お笑いタレントで、女装した男として公表されて、万が一ヤン・ウェンリーだとばれてしまうのは心底イヤだったが、まさか年齢まで10歳以上も詐称するとは思わなかった。 「先輩ってホントに自覚がないですよね〜!」 「そうなんですのよ!あれでちゃんと周囲から年齢相応に見られていると思い込んでいるんですもの!」 「「もともと、あんなに童顔で可愛らしいのに!!」」 アッテンボローとフレデリカの意見は一致していたが、当のヤンは『ばれたらどうしよう』と暗い気持ちでいる。 しかし、CM放送後、アッテンボローの経営するオフィスには出演以来やファンレターが殺到し、ヤンは困惑するばかりだった。 「みんなどうかしてるよ!こんな馬鹿なことがあってたまるか!まさかCMにサブリミナル効果でも使ったんじゃないのか?アッテンボロー!」 変わらず自分の可愛らしさに自覚のないヤンは、アッテンボローのオフィスに用意されたヤンヤンのプライベートルームで休養していた。 疲れ切ってソファに横になっている姿勢で、プロデューサーのアッテンボローに、疑惑の目を向けている。 「あ、先輩、その顔も可愛いですよ〜v」 すぐに手に持っていたカメラで撮影するアッテンボロー。
デビュー以来、常にカメラを携えていて、アッテンボロー曰く『素顔のアイドル☆ヤンヤン写真集』の撮影にいそしんでいるらしい。 「だから!四六時中カメラで追い回すのはやめてくれと言ってるだろう!これだったら帝国軍の監視の方がマシじゃないか!」 ヤンは枕代わりにしているクッションを3個も続けてアッテンボローに投げ付けたが、ヤンのコントロールが悪いのと、アッテンボローの運動神経が良いのとで、ひとつも当たることなく3個とも床に落下した。 「でも監視が付かずに行動できているんだから、提督も一石二鳥じゃないですか。」 「女装したままじゃ好きなところにも行けやしないし、公園で昼寝もできないじゃないか!」 「公園で昼寝は…女装しなくてもやめた方がいいですよ。」 珍しく真面目な顔で言うアッテンボローをヤンはじろりと睨んだ。 「女装していない時は帝国が監視してくれるから、ある意味安全なんじゃないのかい?」 「いや…監視者が狼にならないとも限らないですから。」 「監視者が私に危害を加えるとでも言うのかい?それこそ杞憂じゃないのかな?」 本当に自覚がないんだから…と苦い顔で笑って、アッテンボローはソファに横になったまま無防備に見上げてくるヤンの唇を掠め取った。 何が起きたか分からないという顔で固まっているヤン。 「要するに、こういうことですよ。」 両手を広げてウィンクしてみせる後輩に、ヤンの顔はだんだんと赤くなっていき、何かを言おうとして唇を動かしたが声にならない。 「もちろんヤンヤンの時は、もっと気を付けてくださいねv」 にっこりと笑って、再びアッテンボローがヤンに顔を近付ける。 「…ボディーガードが必要なら小官が立候補しますが?」 「「シェーンコップ中将!?」」 入ったきた気配も感じさせず、シェーンコップはアッテンボローの背後に立っていた。 なぜここに?と問いかけようとして、ヤンは今の自分の姿を思い出し、両手で口を塞いだ。 まさかシェーンコップが自分をヤン・ウェンリーだと気付いているとは思えない。きっとアッテンボローが会社を設立したと聞いて尋ねて来たのだろう、と判断したのだった。 しかし、そんなはずはもちろんない。 「これは閣下、ご機嫌麗しく…。映像より実物の方が100倍も美しいですね。」 シェーンコップは固まっているアッテンボローを押しのけて、ヤンが右肘をついて上半身を起こしているソファの前に片膝をついた。 『なんでばれたんだ!?』と冷や汗をかくヤンの左手を取り、その甲に恭しく口付ける。 「中将!うちの商品に触れないでください!」 我を取り戻したアッテンボローが二人の間に割って入り、ヤンの手を取り返してシェーンコップを牽制する。 だが、シェーンコップは不敵な笑みを浮かべてアッテンボローをちらりと流し見た。 「雇い主が所属タレントに手を出すセクハラの方がスキャンダルになると思うが?」 「うっ…!そ、それは…」 「あははっ、アッテンボローの負けだね。」 言葉に詰まるアッテンボローとシェーンコップのやり取りを見て、ヤンは久しぶりに心から笑うことができた。 そんなヤンを見て二人も笑い出す。 それからボディーガードの件については、直接シェーンコップが関わっては帝国の疑惑を煽るだけだということで、ローゼンリッターが最近設立した警備会社に委託することにした。 それでも十分怪しまれそうだが、退役軍人同士の助け合いだとでも主張するしかない。 ちなみにシェーンコップは相談役という役職らしい。
「こうなったら仕方ないから頑張るけど、さっさと金儲けをして、ばれないうちに引退するからね!」
開き直ったヤンは『新世紀アイドル☆ヤンヤン』として芸能活動をすることを認めた。 旧ヤン艦隊の士官達は当然『ヤンヤン』がヤン・ウェンリーであることなど気付いているのだが、ばれていないと信じているヤンのために知らないフリをしつつバックアップし、またヤンの身に危険が及ばないよう守っていくことを誓い合ったのだった。 デビュー直後に秘密裏に結成された『ヤンヤン闇親衛隊』が、現役、退役問わず旧ヤン艦隊のメンバーばかりで構成されていることをヤン自身はまったく知らない。
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