その日は連続ドラマ『愛と宿命のイゼルローン』のクランクアップだった。
新世紀アイドル☆ヤンヤンことヤン・ウェンリーは、これであのワケの分からない相手俳優二人と顔を合わせなくてすむと思ったら顔の筋肉が緩んでしかたなかった。それに、打ち上げというものにもシェーンコップ同伴で参加して、タダ酒が飲めるので上機嫌だった。 何を勘違いしたのか俳優二人組が二人揃って『ボディーガードの方とお幸せに!』と引きつった愛想笑いを浮かべて挨拶に来たのは謎だったが、説明する必要もないので適当にあしらっておいた。 ヤンの傍にぴったりと寄り添っているシェーンコップも何も言わなかったので、正しい判断だったのだろうとヤンは思っていた。もちろんシェーンコップがどんな顔で俳優二人組と対面していたのかはヤンには見えなかったが。 警備会社『ローゼンリッター』派遣のボディーガードとしてヤンヤンの護衛をしているはずのシェーンコップがそこいらの俳優よりも余程人目を惹いているのはヤンも気付いていたが、先日のゴシップ記事のせいだろうと考えて気にしないことにしていた。 シェーンコップがボディーガードの癖に酒を飲んでいたので『仕事中なのにいいのかい?』と耳打ちすると、平然として『これは水です』と答えたのでヤンは内心ズルイと思ったが、よくよく考えてみれば自分も軍にいた頃はブランデー入り紅茶を勤務時間中に飲んだことがあったなと思い出して、あまり非難できたものじゃないなと苦笑する。 しかし、打ち上げに来る前にアッテンボローから『あまり酒に強いことが世間にバレないように!』と指図されていたので、思ったように飲めないのが難点だった。 本当はアッテンボローが打ち上げに顔を出すつもりだった=ヤンヤンのお目付役をするつもりだったようだが、小さな会社の社長はあまり自由がきかないらしく、突然打ち合わせが入ってしまったらしい。(フレデリカは付き人なので会場に入れないことから本日は休みを取ってもらった。) 朝、警備会社のエアカーで会社を出る際に、アッテンボローが最後の最後まで『飲み過ぎないでくださいね!』と言っていたので、アイドルが酒飲みなのって余程マズイんだな、と思ったヤンだったが、つまり人に見えなければいいんだな、とヤンなりに判断した。 打ち上げ会場を回ってみた結果、ライトの光量が絞られた薄暗いテラスに出て、シェーンコップに『なんでもいいからうまい酒を貰ってきてくれ』と頼む。 季節は初夏だったが、ボディラインを隠すための布地が多いドレスやロングヘアのカツラのせいで随分と暑い気がする。もちろんアルコールのせいもあるとは思うが。 「おや、姫君はもう酔ってしまわれたのですかな?」 戻ってきたシェーンコップに目をやって、ワインを瓶ごと持ってくるのっていいのか?と思ったが、どちらかと言えば有り難いので文句は言わない。 「顔が熱いから気持ちいいんだよ」 テラスの大理石の手すりに頬を押し当てるように寄りかかってベンチに座っていると、シェーンコップが持ってきたグラスをふたつ並べて真っ赤なワインを注いだ。 「珍しいですね、あなたがこんなに早く酔うなんて」 「……酔ってるのかな。そんなに飲んだつもりはないんだけど」 ドラマ撮影でずっと緊張していたのが終わって気が抜けたせいかも、と言ったらシェーンコップが少し笑った。 「宇宙では、かのローエングラム候とも渡り合ったあなたがドラマ撮影ごときでそこまで張り詰めるとは面白いですね」 「……それとこれとは全然違うだろう。そもそも私は人に注目されるのは嫌いだし、演技なんて以てのほかなんだ。人には誰しも得手不得手というものがあるだろう?」 「ええ、それはそうですが。しかし、アイドルのヤンヤンの正体があなただなんて誰も気付いていないのですから、ある意味素晴らしい演技力をお持ちなのではないですか?」 「……非常識すぎて誰もそんなことを思いつかないからだろう。本当にこんなことがばれてしまったら二度と人前に出ることなんて出来ないじゃないか!」 それはヤンの切望してきた人生プランにとっては願ったり叶ったりなのかも知れないが、あまりに恥ずかしすぎて亡くなった両親にも顔向けできやしない。 ヤンは勢いを付けて顔を上げるとシェーンコップの注いだワイングラスを手に取り、一気に飲み干してしまった。 「ふむ……では、その時は私が責任をとりましょう」 奇妙に真面目くさった表情で、顎に手をやったシェーンコップがヤンを見下ろしながら呟いた。 「責任?きみが一体、私になんの責任をとってくれるんだい?」
胡散臭そうな目でかつての部下を見上げるのは全宇宙的アイドル☆ヤンヤンの姿をしたヤン・ウェンリー。 「つまり、こういうことです」 シェーンコップがベンチに腰掛けて自分を見上げるヤンヤンの手から空のワイングラスを取り上げて俳優ばりの色気のある笑顔を見せる。 それを見て、『もしかして自分よりもシェーンコップに芸能界デビューさせた方が金になるかも……』なんてことを考えていたら、なぜかシェーンコップのブラウングレーの瞳がすぐ目の前にあった。いつの間にかベンチに置いた手の上にシェーンコップの手が重なっている。 「……中将?」 「あなたが望んでくださるのならいつでも責任を取る準備はできていますよ?」 「???」 ヤンにはシェーンコップの言いたいことがさっぱり分からなくて、そのまま目を丸くしているだけだった。 そんなヤンにシェーンコップは小さく笑いを漏らして、耳許へ唇を近付けて囁いた。 「……なんと言っても世間一般の見解では、既に私たちは一夜を共に過ごした仲ですからね」 「な……っ!」 一気に茹で蛸のように顔を赤くしたヤンはシェーンコップの手を振り払ってベンチの上を後退った。 「それっ、それはもう記者会見でちゃんと否定したじゃないか!」 「あんな会見を誰も信じちゃいませんよ。まあ、ヤンヤンの熱烈なファンは信じたいとは思っているでしょうがね」 「……じゃあ、まさか……」 いくら薄暗く蒸し暑いテラスだとはいえ、さっきから誰一人としてやってくる気配がない理由に遅まきながらヤンは思い至った。 「ええ、きっと私とあなたの邪魔をしては悪いと思ってどなたもお見えにならないんでしょうね」 「そ、そんな……」 赤くなっていたヤンの顔が今度は青くなった。 「そんないらないおせっかいも迷惑だけど、この状態でさらに私の正体がばれたら本当に最低最悪だ!」 「ですから責任は取ると言ってるじゃないですか」 「結構だ!私は今すぐに引退する!アッテンボローのやつに今すぐ引退させろと言ってやる〜!」 今なら連続ドラマの撮影も終わって、あったとしても単発の仕事だけだった。 今辞めなくては先はどうなるか分からない、と決意してヤンは打ち上げを抜け出すべくテラスの扉を開けようとした。 しかしヤンが開ける前に扉は勝手に開いた。 驚いて瞠った視線の先には、今から会いに行こうとしていたアッテンボローの姿があった。 「アッテンボロー!仕事は終わったのかい?」 息をはずませているアッテンボローの姿にヤンは嫌な予感を覚える。『まさか、また何かゴシップ記事でも出たのか?』と。 しかし、それにしてはアッテンボローの表情は緊張してはいるものの明るかった。 明るい、というよりはまるで今から戦闘でも始まる時のような高揚した面持ちだった。 「先輩、ついに決まりましたよ!」 主語のない報告にヤンは戸惑い、眉根を寄せてアッテンボローを見た。 「何が決まったんだ?」 ヤンの背後から掛けられたシェーンコップの言葉にアッテンボローは不敵に笑って見せる。
「帝国の皇帝即位記念パーティへの新世紀アイドル☆ヤンヤンの出演です!」
その後のアッテンボローの喜々とした報告の間中、ヤンは目の前が真っ白になり何一つ聞こえてはいなかった。
シェーンコップとアッテンボローが気付いた時、ヤンは茫然と立ちつくしたまま、中身は遠い世界に行ってしまっていたそうである。
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