可愛らしいピンクの花模様の白い生地のワンピースの裾が初夏のいたずらな風に翻され、少女は恥ずかしそう手の平でそれを押さえた。長く艶のある髪はゆるいウェーブがかかっており、着衣と同じように風に乱されるのを嫌ってか、真ん中からふたつに分けて肩の辺りで結わえられていた。しかし、結ったのが誰かは分からないが白いリボンは不器用に斜めに垂れ下がっている。
少女が何かに気付いて微笑みかけたが、すぐに不安げな表情に変わる。
そして、それまでの可愛らしい仕草とはうってかわって、不機嫌さを隠そうともせずに大股でこちらへ……
「アッテンボロー!!!」
「ああっ!ひどいじゃないですか先輩〜!せっかくヤンヤンのプライベート映像集の撮影をしてたのに〜!」
撮影のために回していたハンディビデオカメラをヤンに取り上げられ、アッテンボローは情けない表情で抗議した。
「ひどくない!言っただろう!私はもうアイドルなんて引退するって!帝国になんか行って正体がばれたりしたら、お前さんだって困るだろう!?」
「ばれませんって!それに、ばれても大丈夫な気もするし……」
「なんだって……!?」
小さな呟きを聞き逃さず、ヤンは憮然とした表情でアッテンボローに詰め寄った。
そんな顔しても先輩は可愛いんだから……なんて考えて頬を染め、自分の世界にトリップしそうになったアッテンボローだったが、あいにくと目の前の少女の姿をした元自由惑星同盟軍元帥はそこまで甘くなかった。
「お前さんがヤンヤンの引退を認めないんなら、シェーンコップと『駆け落ち』するぞ!それでもいいんだな?」
「ええっ!?先輩、本気ですか〜!?」
当然、ヤンにとって『駆け落ち』という名目は、あくまでこれまでのゴシップ記事を逆手に取った一種の脅しのつもりだったが、それをヤンに提案したのはシェーンコップだった。つまり、言い出したシェーンコップに本気かどうかを訊いたら、当然『本気です』と答えるだろう。
「ああ!本気だよ。私は、このままヤンヤンを続けるぐらいなら、シェーンコップと一緒に姿を消してしまった方がずっとマシだからね」
そう言うと、ヤンはワンピースを翻してくるりとアッテンボローに背を向けた。
ヤンにとっては『シェーンコップと駆け落ちする』のはアイドルのヤンヤンであり、ヤン自身にはまったく害はないのだ。
だが、アッテンボローからしてみれば、この新世紀アイドル計画は世間を欺きつつヤンを宇宙一の軍師ならぬ銀河一のアイドルにするという、資金集めに名を借りたダスティ・アッテンボロー、一世一代の大事業なのである。
その大事業の達成をヤンヤンの駆け落ちによる引退に阻まれた挙げ句、ヤンをシェーンコップに持って行かれたのでは本末転倒だった。
「先輩!それだけはやめてください!そんなことになったら、俺は負債を抱えて首を括らないといけなくなっちゃいます〜!!!」
「負債……?どういう意味だい、アッテンボロー?」
今にも泣き出しそうな情けない顔の後輩に腕に縋り付かれて、勢いを削がれたヤンは眉根を寄せて首を傾げた。
「だって!だって、帝国の皇帝の即位記念式典に出演するんですよ!?衣装も豪華なものを何点も新調して、身の回りのものも怪しまれないように一流ブランドで揃えたんです!それに警護も沢山いるから、もう契約しちゃったし、とにかく帝国に行くためにいっぱい借金しちゃったんですよ〜!!!」
涙目のアッテンボローの言い分はもっともな気もするが、これまで散々『新世紀アイドル☆ヤンヤン』をダシに稼いできた資金をすべて注ぎ込んでいるわけはなかった。だが、アッテンボローの迫真の演技に、まさか後輩がそこまで自分を騙すわけがないと思った人の良いヤンはコロリと騙されてしまったのだった。
「……しかたない奴だな、アッテンボロー」
「せんぱい!」
「いいかい、先に言っておくけど、カイザー・ラインハルトの即位記念式典だけだからね!それ以外の仕事は今後いっさい引き受けないこと!式典が終わったら引退すること!これだけは絶対に守ってもらうからね!」
「ふぇんぱ〜い!!!」
そばかすのある頬にぽろりと一粒こぼれた涙をヤンは溜め息を吐きながら、やや乱暴に拭ってやった。
なんだかんだと言って、この子犬のようにじゃれつく後輩を嫌いになることはヤンには出来ないようだ。
「アッテンボロー、はなみず出てるよ」
ポケットから、これまた花柄の(ファンから贈られた)ハンカチを取り出して、ヤンは色気なくアッテンボローの赤くなった鼻に押し付けた。
「はい……ありがとうございます」
それを受け取って、アッテンボローはやはり子犬のように笑った。
騙されたことにヤンが気付くのはいつか分からないが、きっとその時も仕方ないと許してくれるに違いないと思っているアッテンボローの方が、一枚上手のようである。
「ところで、帝国にはどうやって行くんだい?」
ヤンの疑問は当然だった。
軍事的には銀河帝国の占領下にあると言っても過言ではない自由惑星同盟だが、民間船はそれなりに自由な出入りを許されている。しかし、皇帝のお膝元であるオーディンへ行くとなればそれなりの信用のある船でなくてはならないだろう。
「あ!それがですね、今朝、駐在高等弁務官の部下から連絡がありましてね」
「ほう、レンネンカンプ氏の部下から?」
もちろんヤンヤンがヤン・ウェンリーであることなど気付いていないだろうし、気付かれても困るのだが、ヤン達から見れば昼夜を問わず元ヤン艦隊のメンバーに目を光らせている厄介な存在だった。
「で、なにを言ってきたんだい?」
「それがですね……ヤンヤンのハイネセンからオーディンまでの送迎を銀河帝国の艦隊で行うって言うんですよ!」
「な、なんだって!?」
ヤンは目を丸くしてアッテンボローの首元を掴んだ。
「ど、どういう事だい!?なんで只のアイドルごときに艦隊を動かす必要があるんだ!?実は帝国にはヤンヤンが私だってばれてるんじゃないのか!?」
詰め寄るヤンに首を絞められて、アッテンボローがぐえと唸った。
「せ、せんぱい、苦し……」
「苦しくてもいいから答えろ!アッテンボロー!」
案外と冷たいことを言うヤンだったが、アッテンボローの顔色が悪くなってきたため、仕方なく首は解放してやった。
「……げほ……、いえ、そのヤンヤンの正体はばれていないんですが、どうやらカイザーがヤンヤンの熱狂的な大ファンらしく、道中でヤンヤンが危険な目にあったり、何か事故があっては大変だと言うことで、艦隊を動かすことになったと……」
「カイザーが……ヤンヤンの……?」
そんな馬鹿なと言わんばかりの懐疑的な表情でヤンはアッテンボローを見やった。
「でも、先輩、ファンでもなければ即位記念式典に招待されたりしないんじゃないですか?」
「う〜ん……まあ、それはそうかも……」
「ですよね!」
それにしても一体『誰の』艦隊が来るのかが問題のような気もした。
「司令官がミッターマイヤー提督あたりならいいけど。でもいくらファンでも、たかがアイドルに元帥クラスは寄越さないだろうね」
「そうですねえ、いくらなんでも元帥クラスはないでしょうね」
二人は顔を見合わせて、やや引き攣った微笑みを交わし合った。
だが二人のささやかな願い(?)はあっさりと裏切られることとなった。
翌日、再び駐在高等弁務官名で届いた通達には想像もしなかったような名が記されていたのだった。
|