〜世界でいちばん熱い夏・中編〜

by.朔夏


 清々しい初夏の空気に包まれた新無憂宮の中にあって、何人も近寄りがたく感じるほどに暗澹たる空気を醸し出す一角があった。例え近寄りがたくとも、否応なくそこに足を踏み入れねばならない者達は数多く、入室するたびに神経を磨り減らすようなストレスを感じて、幾人かはそこを去った後に胃薬を調達しに医務室を訪れる羽目になっていた。
 だが、他の人間達がそうであっても、唯一そのような状態を意に介さないどころか、かえって悪化させるような言動を取る男が一人存在した。
「艦隊は間もなくハイネセンへ到達するとのことです」
 声を荒げると言うことを知らないような、かと言って間違っても愛想がよいなどとは言えない暗い声音で、男は事実のみを告げる。
 自らの言葉が他者にどんな感情をもたらすかなどは男の配慮の範疇にはなかった。
 それまでも散々周囲にいらぬプレッシャーを与えるほど不機嫌さを醸し出していたビスクドールの如き美貌にピリリと走った震えを男の人工の瞳が捕らえたかどうかは定かではない。
「先方へは高等弁務官のレンネンカンプより通達が行われておりますので、到着後一両日中には再びオーディンへ向けて出航するかと」
「……やはり私が行くべきであった」
 ややふて腐れたように頬杖を突いたまま、空いた手で自らの黄金色の髪を弄る様はとても銀河帝国ローエングラム王朝初代皇帝とは思えない幼さであるが、所詮は初恋を知ったばかりの年若い青年である。
 出来もしないことと分かっていながらも、現状への不満を口にせずにはいられない。
「それは不可能であると申し上げました」
「分かっている!」
 諫めるでもなく淡々と返されたオーベルシュタインの言葉がかえってラインハルトの心情を逆なでる。声を荒げて睨み付けてくる君主を変わらぬ無表情で見て、オーベルシュタインは軽く目礼した。
「こちらに即位記念式典のレセプションの進行予定表をお持ちしております。お目通し願います」
 オーベルシュタインが机上に差し出した書類を一瞥してラインハルトは軽く頷いた。
 レセプションと聞いて少し気分が浮上したのか、不機嫌そうな表情は相変わらずだったが、微かに薄氷色の瞳が輝いている。
 そもそも、このレセプションのためという名目で意中の人を遠いハイネセンからオーディンへと招待したのだ。本来なら華美な催しを嫌うラインハルトであったが、遠い場所に住む彼女に逢えるというのであれば、どんな道化にだって喜んでなってみせる!と思っていた。
「うむ、じっくり内容を検討しようと思うので卿はひとまず戻ってくれ」
「はっ」
 今度はきっちりと礼を取ってオーベルシュタインが退室した。
 それを見送ったラインハルトは、それまでの不機嫌さはどこへやら、幼い頃にアンネローゼのケーキに飛びついていた時のような嬉しそうな笑顔で目の前の書類へと手を伸ばした。
「ヤンヤン!もうすぐ逢えるのだな!ああ、一日千秋とはこのことか!フロイラインに逢える日が待ち遠しいぞ!」
 ところが書類の1ページ目をめくったラインハルトの目が細められ、再び周囲に暗雲が垂れ込める。そこには『新世紀アイドル☆ヤンヤン』の送迎艦隊の司令官としてラインハルトが最も指名したくなかった男の名前が記されていたからであった。
「オーベルシュタインめ!なぜよりによって奴を指名するのだ!俺があんなに反対したのになんだかんだと理由をつけて!」
 いくら専制君主とはいえ、ラインハルトは周囲の意見を尊重することを信条としていたので相手がそれなりの考えを持って進言していることを無下に却下したりはしない。
 少なくともいくら望んだとしても、同盟出身のアイドルであるヤンヤンを銀河帝国皇帝である自らが迎えに行くことが許されるなどとは思っておらず、誰かに委ねなければならないことは分かっていた。だが、オーベルシュタインに人選を任せた結果、まさかあの男に白羽の矢が立つなどとは想像し得なかったのだ。
「何を考えているのだ、オーベルシュタインめ」
 知ってからいくら反対しても明確な理由を付けることも出来なかったラインハルトがオーベルシュタインに勝てるはずもなく、結果としてラインハルトは不機嫌さを周囲に振りまくことしか出来なくなってしまったのだった。
「ああヤンヤン!どうか無事に俺の元へ辿り着いてくれ!俺はフロイラインを信じている!あんな男の毒牙にかかるようなフロイラインでは決してないと!」
 力の入った右手が書類の束を握りつぶしてしまっていたが、ラインハルトにとってそんなことは宇宙の中の塵に等しかった。
 今のラインハルトにとって宇宙で一番重要なのはフロイライン・ヤンヤンの貞操だったのである。


「こちらがフロイライン・ヤンヤンの事務所でしょうか?」
 インターフォンの画面に映った帝国軍の軍服を身に纏った青年は丁寧な口調で問いかけてきた。アッテンボローは僅かに緊張しながらも、相手の階級章を確認する。
「はい、そうです。私は代表取締役のアッテンボローと申します」
「ミュラー提督……?」
 アッテンボローの背後からインターフォンの画面を覗き込んでいたヤンが小さな声で呟いた。
「しっ!先輩、黙っててくださいよ」
「……ゴメン」
 見知った顔をインターフォンの画面に見つけて思わず口にしてしまったが、それはあくまでヤン・ウェンリーとしての知識であり、軍関係者でもないアイドルのヤンヤンが知っていることではなかった。
 幸いインターフォンの向こうのミュラーには聞こえていないようで、人好きのする微笑を浮かべたまま、自己紹介を始めていた。
 フレデリカの活躍によって荷造りは出来ていたが、ヤンには大きな不安があった。
 今回のオーディン行きにはフレデリカは同行できないのだ。
 艦隊が送迎を行い、オーディンでの警備も憲兵隊が責任を持って当たるというのはいい。
 しかし、ヤンヤン側の付き添いは2人まで、と条件を付けられてしまった。
 ヤン・ウェンリーとして行くのであればフレデリカを同行させようとは思わないが、今回の帝国行きは『新世紀アイドル☆ヤンヤン』としての訪問である。長期間に渡って帝国側にばれないよう女装を続けざるを得ないのだから、ヤンとしてはフレデリカの助けがほしかった。
 しかし、付き添いを2人に限定されてしまっては誰を連れて行くべきかの優先順位を考えなければならない。フレデリカを入れれば残りの1人はアッテンボローしかいない。
 しかしそれではいざという時の対応にあまりにも不安が残る。
 結果、フレデリカはハイネセンに残し、ヤンヤンの付き添いはアッテンボローとシェーンコップに決まった。ヤンは旅立つ前から大きな不安を抱くことになってしまったのである。
 ミュラーの乗ってきた黒塗りの地上車に乗せられて3人は宇宙港へと到着した。
 移動中も前後には帝国軍の護衛が乗った地上車が付いていて、ヤンは内心、今までで一番のVIP待遇だと感心した。
 しかし、護衛の兵士達の視線が妙にちらちらと自分を見ているので、本当はヤン・ウェンリーだとばれているのではないかと冷や汗が流れるのを感じた。
 ハイネセン宇宙港は今、流麗なフォルムの帝国艦隊一色に埋め尽くされている。
 民間船の出入りは3日間は完全禁止となっているそうで、ヤンは自分のせいではないと思いつつ申し訳ない気持ちになった。
「随分と荷物が多いな、これだから女というものは非効率的なんだ」
 薄紅色の唇を半ばぽかんと開けて艦隊を見ていたヤンの背後から、嫌味とも取れる言葉が聞こえてきた。
 慌てて振り返るヤンの目線を遮るようにシェーンコップが前に出る。
「これはこれは……帝国元帥ともあろうお方が一介のアイドルの送迎とは悼み入りますな」
「なんだ卿は……不躾な奴だな、こちらが用があるのはそこのフロイラインなのだが?」
 周囲の温度が下がったような気がしたのはヤンの気のせいだろうか。
 二人とも随分と相手のことが気に入らないように聞こえる。
 ヤンは目の前のシェーンコップの肩の横からそっと顔を出して向こうを窺った。
 途端にきつい眼差しがヤンを捉える。
「……はじめまして、フロイライン・ヤンヤン、私は銀河帝国元帥オスカー・フォン・ロイエンタールと申します。以後お見知りおきを」
 言葉は丁寧だがヤンを見ている色違いの双眸は奇妙に挑戦的に感じられた。
 差し出された手が握手を求めていると理解したヤンは、シェーンコップを避けて前に踏み出し、ロイエンタールの手を取る。
「え……」
 しかし、フロイラインであるヤンにロイエンタールが握手を求めるはずもなく、当然のようにその手を引かれ、甲へと唇を落とされた。
「ええっ!」
 驚いて手を引こうとするが、必要以上にしっかりと握られた手はヤンの意志に反してロイエンタールに捕らえられたままだった。
「オーディンまで短い期間ですが私の艦で過ごしていただきます。どうぞ緊張なさらぬよう……お暇でしたらいつでも私がお相手をいたしますので」
「は、はあ……」
 ヤンは気の抜けた顔で気の抜けた返事をしながら目の前の男の端整な微笑みを茫然と見上げていたので、背後でシェーンコップがロイエンタールを不機嫌に睨み付け、またロイエンタールもそれを見て必要以上にヤンの手を握りしめているのだということにはまったく気付いていないのであった。
 アッテンボローはミュラーに旅程の説明を受けていた場所からその様子が目に入り、小さく溜め息をついたのだった。 
  
      

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