〜世界でいちばん熱い夏・後編〜

by.朔夏

 

「あの男には気を付けた方がいいと思います」
 ホテル並みとは言わないまでも同盟軍の艦に比較すれば随分と煌びやかで居心地のよい帝国軍旗艦トリスタンの居住区の中でも取り分け金のかかっていそうな上級士官用の個室を与えられたヤンは寝心地のよいソファの上ですっかりくつろいで本を読んでいた。
 そこにノックと共に現れたのはボディーガードとして同行したシェーンコップだったが、何故か機嫌が悪そうな様子にヤンは首を傾げる。
「なんだい唐突に?それより今夜のメニューはなんだろうね?」
 艦の中身を見ている限り、同盟と帝国では士官食堂の食事のメニューにも相当の違いがありそうだ、とヤンは大きな期待を抱いて夕食の時間を待っていた。
 なんと言ってもユリアンが地球へ行ってしまってからは自分で調理をする気にもならなければ、ゆっくりと外で食事を楽しむこともできなかった。特にヤンヤンの姿をしていると、いろいろと周囲の目がわずらわしくて、食事のことなど二の次になってしまうのだ。
「……そのことですが、ロイエンタール元帥から『食事を一緒に』とのお誘いがありましたよ。もちろん閣下と『二人で』とのことです」
「ええっ!私とロイエンタール元帥の二人でかい?」
「そうです。『フロイライン・ヤンヤン』と二人で、です」
 地を這うような声で告げられて、なんとなくシェーンコップの不機嫌の理由を察したヤンは頬を指で掻いて体を起こした。
 確かに『ヤンヤンと二人で』と言われれば、帝国軍元帥の手前、シェーンコップがボディーガードに付くことも難しいだろう。
「う〜ん、まあ、ちょっと不安だけど、食事だけなら大丈夫なんじゃないかな…ほら、二人って言ったって当然、給仕はいるだろうし…」
 ヤンとしては『ヤンヤンが実は男で、しかもヤン・ウェンリーだ』とばれることが最大の不安なのだが、シェーンコップの心配はどちらかというと『ロイエンタール元帥が漁色家の本性を顕わにしてヤンヤンに手を出そうとすること』なので、微妙な表情でヤンを見ている。
 しかし、シェーンコップの心配が現実になってしまえば、結局はヤンの心配していることが露見するだけなので方向は間違っていない。だがそんなことには万が一にでもなってしまってはマズイのだ。
「とにかく、気を付けてくださいよ!奴は何を考えているか分かりません。私は室外に待機していますので、何か少しでもおかしな素振りがあったら呼んでください」
「あ〜、うん、分かったよ……ところでアッテンボローはどうしたのかな?」
 トリスタンに乗艦する際には一緒だったが、その後、シェーンコップだけがヤンヤンと荷物のお供をしてこの部屋まで来たので、ヤンはアッテンボローがどこへ行ったのか知らない。
「『社長』は帝国の皇帝即位式典担当補佐官とやらに連れて行かれてヤンヤンの式典でのスケジュールを調整しているようですよ。これが随分と熱意を持った御仁で、そう簡単には解放してもらえないと先程休憩中のところに出くわしました」
「へええ〜そうなのかい、それはご苦労だね」
「……実際に式典に出演されるのはご自分だということはお分かりでしょうね?」
 他人ごとのように目を丸くして感心しているヤンにシェーンコップは薄く笑って釘を刺した。
 途端にヤンが苦虫を噛み潰したような表情で唸る。
「……なるべく地味に短時間で終わるように『社長』には頑張ってもらわないとだね」
「『社長』はおそらく『なるべく高いギャラが貰える内容』を希望すると思いますよ」
「人ごとだと思って……」
 恨みがましい上目遣いで自分を見上げてくるヤンのウェーブのかかった黒髪をシェーンコップは一房手に取った。
「確かに人ごとですが、これで最後かと思えばどんな貴方を見ることができるのか楽しみです」
 ヤンはこの皇帝即位記念式典を最後に『新世紀アイドル☆ヤンヤン』を辞めるつもりだった。
 アッテンボローも渋ってはいたが、ヤンが本気だと分かると仕方なく同意してくれた。しかし、その顔を見ていればアッテンボローがこの計画に大いに未練があることは、長い付き合いのヤンには容易に理解できた。
「きみは私がヤンヤンをやっているのを気に入ってるのかい?」
 ヤンが甚だ不本意ながら女装姿を衆目に晒してまで『アイドル』なんてものをやっているのは、あくまで軍資金を集めるための非常手段であり、決してこの状態に喜んで甘んじているわけではない。
 だが周囲の反応を見ていると、今では『ヤン・ウェンリー』よりも『ヤンヤン』の方が皆に必要とされているのではないかと感じられて、どうにもスッキリしないものがあった。
 ヤンの少し不機嫌そうな俯きがちの表情を無言で見つめていたシェーンコップが小さく笑う。
「何を心配しているんです?まさか、私たちが貴方自身よりもヤンヤンの方を大切にしているとでも思っているんですか?」
「……心配なんかしてないよ。どうせ、今回の式典が終わったら『ヤンヤン』とは永遠にお別れだからね。……まあ、君たちは面白い遊びが終わって残念かも知れないけれど」
 にっこりと極上のヤンヤン・スマイルを浮かべながら、ヤンはシェーンコップの指からヤンヤンの艶やかな髪の毛を取り返す。
「さて、そろそろロイエンタール元帥との会食の支度をしないとだね」
 両手をぱちんと合わせてヤンはソファから立ち上がり、突っ立ったままのシェーンコップをちらりと流し見た。
「……シェーンコップさん?レディが身支度をすると申し上げているのに、そこにいらっしゃるのは不躾ではないかしら?」
 声のトーンが上がり、すっかりヤンヤンの口調に変わったヤンにシェーンコップは目を瞬かせ、苦笑を浮かべた。
「……これは失礼しました。それでは支度ができましたらお呼びください。会食の会場まで護衛させていただきます」
「ええ、そうさせていただきます。それでは後ほど」
 別人のような物腰でシェーンコップを送り出し、ヤンはドアを閉じて内側から鍵を掛けた。
 これから着替えるのに間違っても帝国の人間に見られるわけにはいかない。室内に隠しカメラや盗聴器などが仕掛けられていないかはシェーンコップが確認しているが、ある意味、ドアから踏み込まれる可能性もゼロではない。
「あと少し、あと少しだ!」
 次にハイネセンに帰った時には『ヤンヤン』はいなくなり、後に残るのは元どおりのヤン・ウェンリーだけ。
 そう自分に言い聞かせながら、ヤンはフレデリカの作ってくれた大量の荷物と指示の書いてあるメモを見比べながらロイエンタールとの会食に着ていくドレスを物色した。 



 ロイエンタールに招待されたのは艦隊司令官室に併設された接待用と思われる華美な部屋だった。毛足の長い絨毯や壁の凝った装飾、テーブルや椅子に至るまで、『ここは本当に戦艦の中だったかな……?』と一瞬考え込んでしまった程に。もちろんオーディンの貴族の屋敷の内装に比べれば質素なものだったが、ヤンから見ると戦艦の中にこんな部屋があること自体が同盟と帝国は異世界なのだと感じる所以だった。
「艦の中では大したおもてなしも出来ませんが、どうぞおくつろぎください」
「ありがとうございますロイエンタール元帥、どうぞお気遣いなく」
 互いに社交辞令と愛想笑いを交わして二人は用意された晩餐の席に着いた。
 食前酒から前菜、スープに魚料理と次々に運ばれてくる料理の数々にヤンは感心しながら、同盟軍の士官食堂での食事や戦闘中の携帯食を思い出しては比べてみたりもした。まさか帝国軍がいつもこんな食事をしているとは思わないが、やはり士官学校の食事に毛の生えたぐらいでしかない同盟軍の食事に比べたら、きっと随分といいものを食べているに違いないと心の中で頷く。
 ロイエンタールの世間話のような何気ない問いに答えながらも、久しぶりのまともな食事にヤンからは自然と笑みが零れた。ドアの外で待つと言い張ってヤンが出てくるのを待っているシェーンコップには申し訳なかったが、ヤンはロイエンタールとの晩餐を満喫していた。
 レモンのシャーベットの酸味にヤンが僅かに気を取られたその時までは。
(う〜ん、もう少し甘い方が好みかも……)
とヤンが贅沢なことを考えていると、ロイエンタールの声がヤンを呼んだ。
「はい?なにか?」
 にっこりと微笑んで顔を上げたヤンをロイエンタールは左右の色の異なる瞳で見ていた。
 口元には得体の知れない笑みを浮かべて。
「ロイエンタール元帥?」
 きょとんとした顔でヤンはロイエンタールを呼ぶ。
 確かに呼ばれたはずなのにロイエンタールが何も言わないからだった。
 数秒の間、ヤンをじっと見ていたロイエンタールは一度目を閉じて再びヤンを見た。そして軽く頷くと口を開く。
「……いえ、フロイライン・ヤンヤンは、ヤン・ウェンリー退役元帥をご存知ですか?」
「え……ええ、それはもちろん、私もハイネセン市民ですから……ヤン・ウェンリー提督は有名な方ですから存じておりますけれど?」
 いきなり自分のことを持ち出されてヤンは微かに動揺したが、これまでのアイドル生活で培ったポーカーフェイスを発揮する。
「ほう、その程度ですか……」
 意味深なロイエンタールの言葉に不安を感じるが、相手に隙を見せてはならないと自分に言い聞かせる。これはきっと単なるヤン・ウェンリーへの興味に過ぎないのだ、と。
「ええ、残念ながら軍関係には知り合いもおりませんし、私は一般市民に過ぎませんから」
 だから聞いてくれるな、という全身全霊の思いを込めてヤンはロイエンタールに微笑みかける。だがそれは効を奏してはいないようだった。
 ロイエンタールはうっすらと微笑んでヤンを見ている。
「……フロイライン・ヤンヤンは、これまでどなたかにヤン・ウェンリーに似ていると言われたことはありませんか?」
 ロイエンタールの発言にヤンは美味しい食事で上がった血糖値が一気に足元まで下がる音を聞いた……気がした。(もちろん血糖値とはそんなものではない。)
 落としそうになったシャーベットの器をゆっくりとテーブルに置き、ヤンは口から出そうになった心臓を飲み込んだ。ゆっくりと息を吸い込んで顔を上げ、面白そうな顔でこちらを見ているロイエンタールに向けて笑いかける。
「……いえ、そのようなことは初めて言われましたわ。面白いご冗談をおっしゃいますのね、ロイエンタール元帥は」
 ほほほ、と口元を手で隠してヤンは笑って見せた。
 ロイエンタール元帥は女嫌いで有名と聞いている。
 これはきっとアイドルの分際で皇帝ラインハルトの即位記念式典に招待された上に、帝国軍の艦隊まで使って送迎をさせている(のはラインハルトなのだが)ヤンヤンに対する意趣返しのつもりに違いない。
(ならばヤンヤンとして受けて立つまでだ!)
とヤンは決意した。
 ヤンの心意気が伝わったのか、ロイエンタールも笑みを消して真っ直ぐにヤンを見ている。
 ヤンも作り笑いはやめて、真剣な眼差しでロイエンタールを見つめた。
「フロイライン・ヤンヤン」
「はい、ロイエンタール元帥」
 まるで戦闘中のような緊張感にヤンは膝丈のドレスの胸元で両手を握り合わせた。
 ロイエンタールがヤンから目を逸らし、その整った容貌が横を向いた瞬間、ヤンは『勝った!』と心の中で快哉を叫んだ。
 だがヤンの視線の先でロイエンタールの唇が笑みの形を作る。
「フロイライン・ヤンヤン……」
「はい?」
「レモンのシャーベットは口に合いましたか?」
「え、ええ、とても美味しかったですわ」
 いきなり何を言ってるんだ?とヤンは首を傾げる。
 ロイエンタールは逸らしていた視線を再びヤンに向け、悪魔のように美しく微笑んで見せた。
「……私は先程、あなたに『ヤン提督』と呼びかけたのですよ?」
 レモンのシャーベットの次のメインディッシュはローストビーフだと給仕の少年は言っていた。
 ヤンヤンになってよかったと思ったことは今までほとんど無かったけれど、引退する前に少しは得した気分になれてよかった。
「…………は?」
 メインディッシュはローストビーフだと給仕の少年は言っていた。
「あなたは『はい、なにか?』と返答されましたね」
「…………」
 引退する前に少しは得した気分になれてよかったと、やっと思えたところだった。
「デザートと一緒にお出しする紅茶はブランデー入りをご所望ですか?」
 その意味深な発言が示すロイエンタールの主張に対し、ヤンは何も答えることが出来ず、目を見開いたままロイエンタールを見ている。
(全然ちっともほんの少しも得なんかじゃない!!!やっぱり最初から全部間違いだったんだ!)
「……アッテンボロ〜!!!」
 今この瞬間にヤツをトゥールハンマーでぶっ飛ばしてほしい、とヤンは震える拳を握りしめ、心の底からアッテンボローを呪った。

  
      

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